あわたぐち‐くにいえ【粟田口国家】
鎌倉初期の刀工。名は弥九郎。京都の粟田口に移り住み、地名を家名とした。後鳥羽院の御番鍛冶と伝えられている。生没年未詳。
あわたぐち‐くにつな【粟田口国綱】
[?〜1255ころ]鎌倉初期の粟田口派の代表的刀工。後鳥羽院の御番鍛冶を務め、左近将監(しょうげん)と称したという。北条時頼のために名刀鬼丸を作った。
あわたぐち‐くにより【粟田口国頼】
平安末期・鎌倉前期の刀工。大和の人。粟田口派の祖という。生没年未詳。
あわたぐち‐たかみつ【粟田口隆光】
南北朝・室町初期の絵師。絵仏師として名を成し、清涼寺本「融通念仏縁起絵巻」2巻のうち絵二段を描いた。生没年未詳。
あわたぐち‐よしみつ【粟田口吉光】
鎌倉後期の刀工。名は藤四郎。岡崎正宗・郷義弘とともに「三作」といわれる。「平野藤四郎」「一期一振」などの名物の作者で、特に短刀にすぐれた。生没年未詳。
あわた‐の‐まひと【粟田真人】
[?〜719]奈良前期の貴族。大宝律令の編纂(へんさん)に参加。大宝2年(702)遣唐使として渡唐。