うえすぎ‐しんきち【上杉慎吉】
[1878〜1929]憲法学者。福井の生まれ。東大教授。君権絶対主義を唱え、天皇機関説の美濃部達吉と論争。のち、右翼団体を指導。著「新稿憲法述義」など。
うえすぎ‐ぜんしゅう【上杉禅秀】
[?〜1417]室町前期の武将。関東管領。本名、氏憲(うじのり)。禅秀は法名。応永23年(1416)鎌倉公方(くぼう)足利持氏(あしかがもちうじ)にそむき、敗れて自殺(上杉禅秀の乱)。
うえすぎ‐のりあき【上杉憲顕】
[1306〜1368]南北朝時代の武将。関東管領、伊豆・上野・越後守護。山内上杉氏の祖。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で足利直義に与して高師冬(こうのもろふゆ)を亡ぼすが、足利尊氏と戦って...
うえすぎ‐のりざね【上杉憲実】
[1410〜1466]室町中期の武将。関東管領。将軍足利義教(あしかがよしのり)と鎌倉公方足利持氏の調停に努力したが、持氏と不和となった。永享の乱で持氏が死んだのち伊豆の国清寺で出家、諸国を行脚...
うえすぎ‐のりまさ【上杉憲政】
[?〜1579]戦国時代の武将。関東管領。北条氏康に攻められて長尾景虎(上杉謙信)を頼り、上杉の姓と関東管領職を景虎に譲った。
うえすぎ‐ようざん【上杉鷹山】
[1751〜1822]江戸中期の米沢藩主。日向(ひゅうが)高鍋(たかなべ)藩主秋月種美の二男。上杉重定の養子。名は治憲(はるのり)。倹約・殖産興業政策などで、藩政改革に努めた。
うえだ‐あきなり【上田秋成】
[1734〜1809]江戸後期の国学者。浮世草子・読本の作者。大坂の人。本名、東作。別号、無腸。著作に読本「雨月物語」「春雨物語」、随筆「胆大小心録」、歌文集「藤簍冊子(つづらぶみ)」など。
うえだ‐かずお【植田和男】
[1951〜 ]経済学者・銀行家。静岡の生まれ。マクロ経済学や金融論を研究。日本銀行政策委員会の審議委員などを経て、令和5年(2023)日本銀行総裁に就任した。
うえだ‐しょうじ【植田正治】
[1913〜2000]写真家。鳥取の生まれ。郷里である山陰地方の風物を多く撮影。代表作に、被写体をオブジェのように配置し撮影した「砂丘シリーズ」など。演出技法は植田調とよばれ、海外でも高い評価を得た。
うえだ‐たかひろ【上田岳弘】
[1979〜 ]小説家。兵庫の生まれ。平成25年(2013)「太陽」で新潮新人賞を受賞し作家デビュー。「私の恋人」で三島賞を、「ニムロッド」で第160回芥川賞を受賞した。