きせん【喜撰】
平安初期の歌人。六歌仙の一人。山城の人。古今集に「わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」の一首がある。歌学書「喜撰式」の著者と伝えられる。生没年未詳。 歌舞伎舞踊。清...
きせん‐ほうし【喜撰法師】
⇒喜撰
きたがわ‐うたまろ【喜多川歌麿】
[1753〜1806]江戸後期の浮世絵師。喜多川派の祖。本姓、北川。初めの号は豊章。独自の美人画、特に大首絵(おおくびえ)を創案、女性の官能的な美を描き出した。狂歌絵本・肉筆画も制作。
きたがわ‐もりさだ【喜田川守貞】
[1810〜?]江戸後期の風俗史家。大坂の人。本姓、石原。上方・江戸の風俗習慣を記録した「守貞漫稿」は、明治になって「類聚(るいじゅう)近世風俗志」として刊行された。
きた‐しちだゆう【喜多七大夫】
[1586〜1653]江戸初期の能役者。喜多流の祖。堺の人。名は長能(ながよし)。幼名、六平太。金春(こんぱる)流を学び、金剛流の芸系も受け継ぐ。豊臣秀吉に仕え、のち徳川秀忠より一流創設を許された。
きたむら‐のぶよ【喜多村信節】
[1783〜1856]江戸後期の国学者・考証学者。江戸の人。名は節信(ときのぶ)ともいう。市中や民間の風俗・伝承を記録・考証した。著「嬉遊笑覧」「瓦礫雑考」など。
きたむら‐ろくろう【喜多村緑郎】
[1871〜1961]新派俳優。東京の生まれ。本名、六郎。明治29年(1896)高田実らと成美団を結成。新派の写実的演技術の確立に努め、女形として活躍。主な舞台に「侠艶録」「滝の白糸」「婦系図」など。
きた‐ろっぺいた【喜多六平太】
[1874〜1971]能楽師。シテ方喜多流14世宗家。東京の生まれ。闊達(かったつ)自在な芸境の名人で、衰えていた流勢を盛り返した。文化勲章受章。
きだ‐さだきち【喜田貞吉】
[1871〜1939]歴史学者。徳島の生まれ。日本歴史地理学会を組織し、雑誌「歴史地理」を刊行。京大教授などを歴任。南北朝正閏論(せいじゅんろん)・法隆寺再建論などの論争で有名。