おおとり‐けいすけ【大鳥圭介】
[1833〜1911]江戸末期・明治初期の政治家。兵庫の人。緒方洪庵・江川英竜らに蘭学・兵学を学ぶ。戊辰(ぼしん)戦争で五稜郭にこもったが降伏。のち清国・朝鮮公使として日清戦争前後の外交工作を行...
おおぬま‐ちんざん【大沼枕山】
[1818〜1891]江戸末期から明治初期の漢詩人。江戸の人。名は厚、字(あざな)は子寿。詩塾「下谷吟社」を開き、江戸詩壇の中心として活躍。著「枕山詩鈔」など。
おおはし‐そうけい【大橋宗桂】
[1555〜1634]安土桃山時代・江戸初期の将棋棋士。江戸時代の将棋家元大橋家の始祖。京都の人。旧名は宗慶。織田信長・徳川家康に仕え、幕府の将棋所の司(つかさ)となる。
おおよど‐みちかぜ【大淀三千風】
[1639〜1707]江戸前期の俳人。伊勢の人。本名、三井友翰(ゆうかん)。仙台に住んでのち、全国を遊歴。大磯で鴫立庵を再興した。著「日本行脚文集」「松島眺望集」など。
おかじま‐かんざん【岡島冠山】
[1674〜1728]江戸中期の儒学者。長崎の人。名は璞(はく)、冠山は号。儒学を修め、中国語に通じた。著書に水滸伝の日本語訳や「唐話纂要(さんよう)」「華音唐詩選」など。
おかだ‐かんせん【岡田寒泉】
[1740〜1816]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は恕(はかる)。通称、清助。松平定信に登用され、朱子学振興に努力した。著「幼学指要」。
おかだ‐ためちか【岡田為恭】
[1823〜1864]江戸末期の復古大和絵派の画家。京都の人。一時、冷泉(れいぜい)三郎を自称。大量の古画を模写する一方、障壁画なども描いた。
おがた‐けんざん【尾形乾山】
[1663〜1743]江戸中期の陶工・画家。京都の人。光琳(こうりん)の弟。陶法を野々村仁清に学び、京都で鳴滝窯を開き、晩年は江戸入谷に窯を築いた。絵画は「八ツ橋図」「花籠図」など。
おがた‐こうあん【緒方洪庵】
[1810〜1863]江戸後期の蘭学者・医者・教育者。備中の人。名は章。江戸・長崎で医学を学び、医業のかたわら蘭学塾(適塾)を開いて青年を教育。種痘の普及にも尽力し、日本における西洋医学の基礎を...
おがた‐こうりん【尾形光琳】
[1658〜1716]江戸中期の画家・工芸意匠家。京都の人。名は惟富、通称、市之丞。乾山の兄。初め狩野派を学び、のち光悦や宗達の作風の影響を受け、大胆で軽妙な画風により独自の造形美を展開、琳派を...