ふじわら‐の‐うまかい【藤原宇合】
[694〜737]奈良前期の公卿。式家の祖。不比等(ふひと)の三男。名は馬養(うまかい)とも書く。遣唐副使として渡唐。帰国後、蝦夷(えぞ)の反乱を平定。
ふじわら‐の‐おつぐ【藤原緒嗣】
[773〜843]平安初期の公卿。百川(ももかわ)の長男。桓武天皇の寵を受け、参議・左大臣などを歴任。「新撰姓氏録」「日本後紀」の編者の一人。
ふじわら‐の‐おとむろ【藤原乙牟漏】
[760〜790]桓武天皇の皇后。平城天皇・嵯峨天皇の母。
ふじわら‐の‐かねいえ【藤原兼家】
[929〜990]平安中期の公卿。師輔(もろすけ)の三男。兄の兼通(かねみち)と関白職を争い、一条天皇の外祖父として摂政、次いで関白となった。法興院。東三条殿。
ふじわら‐の‐かねざね【藤原兼実】
⇒九条兼実(くじょうかねざね)
ふじわら‐の‐かねすけ【藤原兼輔】
[877〜933]平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。邸宅が賀茂川の堤近くにあったので、堤中納言と称された。家集に「兼輔集」がある。
ふじわら‐の‐かねみち【藤原兼通】
[925〜977]平安中期の公卿。師輔(もろすけ)の二男。長兄伊尹(これただ)の病死後、弟の兼家と関白職を争い、関白・太政大臣となった。
ふじわら‐の‐かまたり【藤原鎌足】
[614〜669]古代の中央豪族。本姓は中臣(なかとみ)氏。藤原氏の祖。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの天智天皇)らと大化の改新を断行、改新政府の重鎮となり、律令体制の基礎を築いた。臨...
ふじわら‐の‐かりゅう【藤原家隆】
⇒ふじわらのいえたか
ふじわら‐の‐きよかわ【藤原清河】
奈良時代の公卿。房前(ふささき)の四男。遣唐大使として渡唐。帰国の際、暴風にあい安南に漂着。再び唐に戻り、唐で没した。生没年未詳。