たいら‐の‐よりもり【平頼盛】
[1131〜1186]平安末期の武将。忠盛の子。その住居を池殿といい、池の大納言と称した。母、池禅尼が源頼朝を救ったので、平氏敗北後も鎌倉に招かれて厚遇されたが、平氏滅亡後出家した。法名、重蓮。
たかしな‐たかかね【高階隆兼】
鎌倉後期の絵師。絵所預(えどころあずかり)。大和絵技法の完成者とされる。「春日権現(かすがごんげん)験記絵巻」「春日明神影向御車図」が現存。生没年未詳。
たけざき‐すえなが【竹崎季長】
鎌倉後期の武将。肥後の人。元寇(げんこう)で奮戦、肥後の海東四郡を所領とした。「蒙古襲来絵詞」は自分の武功を記念するために描かせたものという。生没年未詳。
たじみ‐くになが【多治見国長】
[1289〜1324]鎌倉後期の武士。美濃多治見の人。土岐氏一族。通称、四郎次郎。後醍醐天皇の命で土岐頼兼とともに討幕の計に加わったが発覚し、六波羅軍に襲われて戦死。
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】
鎌倉中期の文学者。諸兄(もろえ)の末裔光季の養子といわれる。伊賀守。文学・音楽にすぐれ、建長6年(1254)「古今著聞集」を編集した。生没年未詳。
だいとう‐の‐みや【大塔宮】
《比叡山延暦寺の大塔に住んだところから》天台座主(ざす)になった皇族。 護良(もりなが)親王の異称。また親王を祭る鎌倉宮の異称。
なかとみ‐の‐かまたり【中臣鎌足】
⇒藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
ながみつ【長光】
鎌倉中期から後期の刀工。備前の人。光忠の子。足利将軍の宝刀「大般若長光」ほか多くの名刀を作り、長船(おさふね)派の名声を確立。生没年未詳。
ふじわらのしゅんぜい‐の‐むすめ【藤原俊成女】
[1171ころ〜1252ころ]鎌倉前期の歌人。父は藤原盛頼、母は藤原俊成の娘。俊成の孫で養女となる。源通具の妻。新古今集の代表的女流歌人。家集に「俊成卿女集」がある。嵯峨禅尼。
わだ‐よしもり【和田義盛】
[1147〜1213]鎌倉初期の武将。三浦義明の孫。源頼朝の挙兵以来軍功を重ね、幕府初代の侍所(さむらいどころ)別当となった。のち、北条氏の謀計により挙兵して敗死、和田氏は滅亡した。