・・・と、善吉はしばらく考え、「どうなるんだか、自分ながらわからないんだから……」と、青い顔をして、ぶるッと戦慄て、吉里に酒を注いでもらい、続けて三杯まで飲んだ。 吉里はじッと考えている。「吉里さん、頼みがあるんですが」と、善吉は懐裡の紙・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・山の裾には雲の青い影が印せられている。山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼は最後の光を見せている。あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その皮の色は多くは始め青い色であって熟するほど黄色かまたは赤色になる。中には紫色になるものもある。普通のくだものの皮は赤なら赤黄なら黄と一色であるが、林檎に至っては一個の菓物の内に濃紅や淡紅や樺や黄や緑や種々な色があって、色彩の美を極めて居・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・一人がその青い粘土も持って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深過ぎるので、どうもうまくいきませんでした。私は「あした石膏を用意して来よう」とも云いました。けれどもそれよりいちばんいいことはやっぱりその足あとを切り取って、そのまま学校へ持って行・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 茶っぽく青い樫の梢から見える、高あく澄んだ青空をながめると、変なほど雲がない。 夏中見あきるほど見せつけられた彼の白雲は、まあどこへ行ったやらと思う。 いかにも気持が良い空の色だ。 はっきりした日差しに苔の上に木の影が踊っ・・・ 宮本百合子 「秋風」
温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。 水は井桁の上に凸面をなして、盛り上げたようになって、余ったのは四方へ流れ落ちるのである。 青い美しい苔が井桁の外を掩うている。 夏の朝である。 ・・・ 森鴎外 「杯」
・・・母は竈の前で青い野菜を洗っていた。灸は庭の飛び石の上を渡って泉水の鯉を見にいった。鯉は静に藻の中に隠れていた。灸はちょっと指先を水の中へつけてみた。灸の眉毛には細かい雨が溜り出した。「灸ちゃん。雨がかかるじゃないの。灸ちゃん。雨がよう。・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫