・・・山を覆したように大畝が来たとばかりで、――跣足で一文字に引返したが、吐息もならず――寺の門を入ると、其処まで隙間もなく追縋った、灰汁を覆したような海は、自分の背から放れて去った。 引き息で飛着いた、本堂の戸を、力まかせにがたひしと開ける・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ もう寝たのかしらんと危ぶみながら、潜戸に手を掛けると無造作に明く。戸は無造作にあいたが、這入る足は重い。当り前ならば、尋ねる友人の家に著いたのであるから、やれ嬉しやと安心すべき筈だに、おかしく胸に不安の波が騒いで、此家に来たことを今更・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・と、戸が明くのを待って、僕は父を座敷へ通した。 妻が残して行った二人の子供のいびきが、隣りの室から聴えている。 僕が茶を命じたら、「今、火を起しますから」と、妻の母は答えた。「もう、茶はいりませんよ、お婆アさん」と言っておい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃の書家や画家が売名の手段は書画会を開くが唯一の策であった。今日の百画会は当時の書画会の変形であるが、展覧会がなかった時代には書画会以外に書家や画家が自ら世に紹介する道がなかったから、今日の百画会が無名の小画家の生活手段であると反して、・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 初夏のころには、青い、小さな実が鈴生りになりました。そして、その実がだんだん大きくなりかけた時分に、一時に虫がついて、畑全体にりんごの実が落ちてしまいました。 明くる年も、その明くる年も、同じように、りんごの実は落ちてしまいました・・・ 小川未明 「牛女」
・・・ 国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・しかし、料理屋を開くには、もう少し料理屋の内幕や経営法を知って置いた方がよい。そう思って口入屋の紹介で住込仲居にはいった先がたまたま石田の店であった。石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手を・・・ 織田作之助 「世相」
・・・一寸手を延すだけの世話で、直ぐ埒が明く。皆打切らなかったと見えて、弾丸も其処に沢山転がっている。 さア、死ぬか――待ってみるか? 何を? 助かるのを? 死ぬのを? 敵が来て傷を負ったおれの足の皮剥に懸るを待ってみるのか? それよりも寧そ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、またこの懐旧談で、浮き世の波にもまれて、眉目のどこかにか苦闘のあとを残すかたがたも、「あの時分」の話になると、われ知らず、青春の血潮が今ひとたびそのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、や・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 内から戸が開くと、「竹内君は来てお出ですかね」と低い声の沈重いた調子で訊ねた。「ハア、お出で御座います、貴様は?」と片眼の細顔の、和服を着た受付が丁寧に言った。「これを」と出した名刺には五号活字で岡本誠夫としてあるばかり、・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
出典:青空文庫