・・・これを基礎としてそれから二等三等三角網が張り渡され、それを目標として局部局部の地形測量を仕上げられるまでのいきさつは、およそ素人の想像に余るものであろう。 地形測量をする測量班員が深山幽谷をさまようて幾日も人間のにおいをかがずにいて、や・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・輝けるは五尺に余る鉄の鏡と、肩に漂う長き髪のみ。右手より投げたる梭を左手に受けて、女はふと鏡の裡を見る。研ぎ澄したる剣よりも寒き光の、例ながらうぶ毛の末をも照すよと思ううちに――底事ぞ!音なくて颯と曇るは霧か、鏡の面は巨人の息をまともに浴び・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。『東洋美術図譜』は余にこういう料簡の起った当時に出版されたもので・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・眼に余る青草は、風を受けて一度に向うへ靡いて、見るうちに色が変ると思うと、また靡き返してもとの態に戻る。「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見たまえ」と圭さんが幾重となく起伏する青い草の海を指す。「痛快でもないぜ。帽・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・「うん、余る位だ。ホラ電車賃だ」 そこで私は、十銭銀貨一つだけ残して、すっかり捲き上げられた。「どうだい、行くかい」蛞蝓は訊いた。「見料を払ったじゃねえか」と私は答えた。私の右腕を掴んでた男が、「こっちだ」と云いながら先へ立・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・主人の貪欲不人情、竈の下の灰までも乃公の物なりと絶叫して傍若無人ならんには、如何に従順なる婦人も思案に余ることある可し。此時に当り婦人の身に附きたる資力は自から強うするの便りにして、徐々に謀を為すこと易し。仮令い斯くまでの極端に至らざるも、・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父があって、その親父がまた慾ばりきったごうつくばりのえら者で、なかなか六十になっても七十になっても隠居なんかしないので、立派な一人前の後つぎを持ちながらまだ容易に財産を引き渡さぬ、そ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 目に余る贅沢 金銀の使用がとめられている時代なのにデパートの特別売場の飾窓には、金糸や銀糸をぎっしり織込んだ反物が出ていて、その最新流行品は高価だが、或る種の女のひとはその金めだろうけれどいかつい新品を身につ・・・ 宮本百合子 「女性週評」
・・・幸雄は或る身分の高い人との間に生れた一人息子で、相手の死後あり余る手当で生活しているのであった。「この家だって、幸雄がいずれ一家を構える場合を考えて建てる気になった訳さ。小さいとき引き離されていたりしたから幸雄の方じゃ大した気持もあるま・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・ ―――――――――――― 一抱えに余る柱を立て並べて造った大廈の奥深い広間に一間四方の炉を切らせて、炭火がおこしてある。その向うに茵を三枚畳ねて敷いて、山椒大夫は几にもたれている。左右には二郎、三郎の二人の息子が狛・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫