・・・ 宗俊の語の中にあるものは懇請の情ばかりではない、お坊主と云う階級があらゆる大名に対して持っている、威嚇の意も籠っている。煩雑な典故を尚んだ、殿中では、天下の侯伯も、お坊主の指導に従わなければならない。斉広には一方にそう云う弱みがあった・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・この人をしかった上官にも見せてやりたかったんやが、『その場にのぞんで見て貰いましょ』と僕の心を威嚇して急に戦争の修羅場が浮んできた。僕はぞッとして蒲団を被ろうとしたが手が一方よりほか出なかった。びっくりした看護婦が、どうしたんや問うたにも答・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・近松少佐は思うままにすべての部下を威嚇した。兵卒は無い力まで搾って遮二無二にロシア人をめがけて突撃した。――ロシア人を殺しに行くか、自分が×××るか、その二つしか彼等には道はないのだ! けれども、そのため、彼等の疲労は、一層はげしくなったば・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・植民地の労働者をベラ棒に安い、牛か馬かを使うような調子に働かせるために、威嚇し、弾圧する。その目的に軍隊を使う。満洲に派遣されている軍隊と、支那に派遣されている軍隊は植民地満洲、蒙古をしっかりと握りしめるために番をさせられているのだ。ブルジ・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・あるいは百年千年の後には、その方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の将来における自己の生というものが威嚇される。単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり子と拡がった場合には、いよいよそれが心苦しくなる。つ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ステッキなど持って歩くと、犬のほうで威嚇の武器と勘ちがいして、反抗心を起すようなことがあってはならぬから、ステッキは永遠に廃棄することにした。犬の心理を計りかねて、ただ行き当りばったり、むやみやたらに御機嫌とっているうちに、ここに意外の現象・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・どうせ貧寒なのだから、木枯しの中を猫背になってわななきつつ歩いているのも似つかわしいのであろうが、そうするとまた、人は私を、貧乏看板とか、乞食の威嚇、ふてくされ等と言って非難するであろうし、また、寒山拾得の如く、あまり非凡な恰好をして人の神・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・……魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々と泳いでいるという事である。……今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていた鴉は、砲撃がやんで数日たたないうちにもう帰って来て、枝も・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・先ず彎曲した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右に威嚇的の偶像を安置した門を這入ると真直な敷石道が第二の門の階段に達している。敷石道の左右は驚くほど平かであって、珠の如く滑かな粒の揃った小石を敷き、正方形に玉垣を以て限られた隅々に銅の燈籠を数・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・そんなに人を威嚇かすもんじゃない」「威嚇かすんじゃない、大丈夫かと聞くんだ。これでも君の妻君の身の上を心配したつもりなんだよ」「大丈夫にきまってるさ。咳嗽は少し出るがインフルエンザなんだもの」「インフルエンザ?」と津田君は突然余・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫