・・・「そりゃいかん。」「もう出るのでござんしょうな、もう出るって、さっきいわしゃったがの。」「さアて、何しておるやらな。」 若者と娘は場庭の中へ入ってきた。農婦はまた二人の傍へ近寄った。「馬車に乗りなさるのかな。馬車は出ませ・・・ 横光利一 「蠅」
・・・フライやサラダの皿が出たとき、「そんな君の尉官の襟章で、ここにいてもいいのですか。」と梶は訊ねてみた。「みなここの人は僕のことを知ってますよ。」 栖方は悪びれずに答えた。そのとき、また一人の佐官が梶の傍へ来て坐った。そして、栖方・・・ 横光利一 「微笑」
・・・戦争というものの善悪如何にかかわらず祖国の滅亡することは耐えられることではなかった。そこへ出現して来た栖方の新武器は、聞いただけでも胸の躍ることである。それに何故また自分はその武器を手にした悪人のことなど考えるのだろうか。ひやりと一抹の不安・・・ 横光利一 「微笑」
・・・勝利を得るまでの分裂した生活の惨めさは、目下の自分の力ではいかんともし難い。 私は一つのことを悟り得た。迷いと屈托とに遅滞しているゆえをもって、直ちにその人の人格を卑しめてはいけない。態度の純一のゆえに、直ちにその人の人格を過大視しては・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・ことに女の体の清らかな美しさを遺憾なく発揮した所は嘆賞に価する。第三に、日本画で現代の浴室を、しかも全裸の女を描き得たということは、一種の革新である。現代に題材を取っても、できるだけ詩的な、現代離れのしたものを選みたがる日本画家の中にあって・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・もしこの問題が、連鎖反応式に中央アジアのいくつかの遺蹟の発掘をひき起こしたとしたら、やがて千四百年前の中央アジアの偉観がわれわれの前に展開してくるであろう。 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫