・・・どんな大将だって初めは皆な少尉候補生から仕上げて行くんだから、その点は一向差閊えない。十分やって行けるようにするからと云うんで、世帯道具や何や彼や大将の方から悉皆持ち込んで、漸くまあ婚礼がすんだ。秋山さんは間もなく中尉になる、大尉になる。出・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・然ルニ皇制ノ余沢僻隅ニ澆浩シ維新以降漸次ソノ繁昌ヲ得タリ。乍チニシテ島原ノ妓楼廃止セラレテ那ノ輩這ノ地ニ転ジ、新古互ニ其ノ栄誉ヲ競フニオヨンデ、好声一時ニ騰々タルコトヲ得タリ。現在大楼ト称スル者今其ノ二三ヲ茲ニ叙スレバ即曰ク松葉楼曰ク甲子楼・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であったにしても、いまだ一人として我が俳諧師其角、一茶の如くに、放屁や小便や野糞までも詩化するほどの大胆を敢てするものはなかったようである。日常の会話にも下がかった事を軽い可笑味として取扱い得るのは日本文明・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・山人は誠に畸人であって、わたくしの方から是非にといって頼むことは一向してくれないが、頼みもしない事を、時々心配して世話をやく妙な癖があった。或日わたくしに向って、何やら仔細らしく、真実子供がないのかと質問するので、わたくしは、出来るはずがな・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 大正十二年の秋東京の半を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏のいわゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少ではない。わたくしは人間の世の未来については何事をも考えた・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ わたしは子の遺稿を再読して世にこれを紹介する機会のあらんことを望んでいる。大正十二年七月稿 永井荷風 「梅雨晴」
・・・四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・正岡という男は一向学校へ出なかった男だ。それからノートを借りて写すような手数をする男でも無かった。そこで試験前になると僕に来て呉れという。僕が行ってノートを大略話してやる。彼奴の事だからええ加減に聞いて、ろくに分っていない癖に、よしよし分っ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・と、お熊は衣桁に掛けてあッた吉里のお召縮緬の座敷着を取ッて、善吉の後から掛けてやッた。 善吉はにっこりして左右の肩を見返り、「こいつぁア強気だ。これを借りてもいいのかい」「善さんのことですもの。ねえ。花魁」「へへへへへ。うまく言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫