・・・ しかし、つらい時の作品にはまた、異常な張りがあるものらしく、この「青ヶ島大概記」などは井伏さんの作品には珍らしく、がむしゃらな、雄渾とでもいうべき気配が感ぜられるようである。 私は、第一巻のあとがきにも書いておいたように、井伏さん・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ もう一つ、これは甚だロマンチックの仮説でありますけれども、この小説の描写に於いて見受けられる作者の異常な憎悪感は、直接に、この作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発しているのではないか。すなわち、この小説は、徹底的に事実その・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識なのであるが、訪れるたびごとに何か驚異と感慨をあらたにしてくれる青扇と、この文法の作例として記されていた一句とを思い合せ、僕は青扇に対してある異状な期待を持ちはじめたのである。 ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・殊にも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗である。親鸞上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤになるくらいお寺まいりをさせられた。お経も覚えさせられた。 ×・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・という異状な質問を発しているのである。無智文盲の弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。イエスが神の子である事を信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身・・・ 太宰治 「誰」
・・・勝治は緊張して、そっと庭のほうから外へ出て家のぐるりを見廻り、「異状ないようです。」と小声で報告する。「そうか、ありがとう。もう僕も、今夜かぎりで君と逢えないかも知れませんが、けれども一身の危険よりも僕にはプロパガンダのほうが重大事です。逮・・・ 太宰治 「花火」
・・・またある時は、平生活人画以上の面白味は解せないくせに、歴代の名作のある画廊を経営していた。一体どうしてこんな事件に続々関係するかと云うに、それはこうである。墺匈国では高利貸しが厳禁せられている。犯すと重い刑に処せられる。そこで名義さえ附くと・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・細君はなるほどもう色は衰えているが、娘盛りにはこれでも十人並み以上であったろうと思われる。やや旧派の束髪に結って、ふっくりとした前髪を取ってあるが、着物は木綿の縞物を着て、海老茶色の帯の末端が地について、帯揚げのところが、洗濯の手を動かすた・・・ 田山花袋 「少女病」
真夏の正午前の太陽に照りつけられた関東平野の上には、異常の熱量と湿気とを吸込んだ重苦しい空気が甕の底のおりのように層積している。その層の一番どん底を潜って喘ぎ喘ぎ北進する汽車が横川駅を通過して碓氷峠の第一トンネルにかかるこ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ 時候は夏でも海抜九百メートル以上にはもう秋が支配している。秋は山から下りて来るという代りに、秋は空中から降りて来るともいわれるであろう。 本文中に峰の茶屋への途中、地表から約一メートルに黒土の薄層があって、その中に枯れた木の根・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
出典:青空文庫