・・・五 古来の偉人には雄大な根の営みがあった。そのゆえに彼らの仕事は、味わえば味わうほど深い味を示してくる。 現代には、たとい根に対する注意が欠けていないにしても、ともすればそれが小さい植木鉢のなかの仕事に堕していはしないか・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・ 個性の完成、自己の実現はいたずらに我に執する所に行われるものではない。偉人の自己は強く人性的の色を帯びている。我の殻を堅くする所には真の征服も創造も行われない。大いなる愛は我を斥ける。そうしてすべて偉大なるものは大いなる愛から生まれる・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・特に人を動かすのは浅川巧氏を惜しむ一文であるが著者はここに驚嘆すべき一人の偉人の姿をおのずからにして描き出している。描かれたのはあくまでもこの敬服すべき山林技師であって著者自身ではない。しかも我々はこの一文において直接に著者自身と語り合う思・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・そしてすべて世界的になっている永遠の偉人が、おのおのその民族の特質を最も好く活かしている事実に、私は一種の驚異の情をもって思い至った。最も特殊なものが真に普遍的になる。そうでない世界人は抽象である。混合人は腐敗である。――しかも私は真に日本・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
・・・真の偉人は飾らずして偉である。付け焼き刃に白眼をくるる者は虚栄の仮面を脱がねばならぬ、高き地にあってすべてを洞察する時、虚栄は実に笑うに堪えぬ悪戯である。美を装い艶を競うを命とする女、カラーの高さに経営惨憺たる男、吾人は面に唾したい、食を粗・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫