・・・もっとも社会と云うものはいつでも一元では満足しない。物は極まれば通ずとかいう諺の通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭を擡げ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気に襲われるとまた浪漫主義の道徳が反動と・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・最高完全者としての神の観念は存在を含むという神の存在の証明は、百円の観念は百円の金貨ではないという如きを以て一言に排斥すべきではない。神はカント哲学の形式によって実在するというのではない。実在の根柢を何処までも論理的に考える時、私は「最高完・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・先生はその頃もう四十を越えておられ、一見哲学者らしく、前任者とコントラストであった。最初にショーペンハウエルについて何か講義せられたように記憶している。この先生の講義はブッセ教授と異って机に坐ったままで低声で話された。ケーベルさんは始めて日・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ 二 平田は先刻から一言も言わないでいる。酒のない猪口が幾たび飲まれるものでもなく、食いたくもない下物をむしッたり、煮えつく楽鍋に杯泉の水を加したり、三つ葉を挾んで見たり、いろいろに自分を持ち扱いながら、吉里がこちら・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 一言の返事もせずに、地びたから身を起したのは、痩せ衰えた爺いさんである。白い鬚がよごれている。頭巾の附いた、鼠色の外套の長いのをはおっているが、それが穴だらけになっている。爺いさんはパンと腸詰とを、物欲しげにじっと見ている。 一本・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野鄙ならずして始めて賢・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・がら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたることなく、一見甚だ美なるに似たれども、気の毒なるは・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・丸ッきり無い訳ではないが、性格はまア第二義に落ちて、それ以外に睨んでいたものがある。一言すれば、それは色々の人が人生に対する態度だな……人間そのものではなくて、人間が人生に対する態度……というと何だか言葉を弄するような嫌いがあるが、つまり具・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・そんなら今が幸福だと満足して、此上に社会改良も何も不必要かと云うに然うでもない、大変パラドクサルになって了って……ある意味じゃ此儘幸福だが、他の意味じゃ不幸福だ。一見矛盾しているようだが私の心では為て居らん。ここが象徴派と同じ所へ来ている証・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ほんに世の中の人々は、一寸した一言をいうては泣き合ったり、笑い合ったりするもので、己のように手の指から血を出して七重に釘付にせられた門の扉を叩くのではない。一体己は人生というものについて何を知っているのだろう。なるほどどうやら己も一生という・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫