・・・「私が始めて三浦の細君に会ったのは、京城から帰って間もなく、彼の大川端の屋敷へ招かれて、一夕の饗応に預った時の事です。聞けば細君はかれこれ三浦と同年配だったそうですが、小柄ででもあったせいか、誰の眼にも二つ三つ若く見えたのに相違ありませ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 但し、以下の一齣は、かつて、一樹、幹次郎が話したのを、ほとんどそのままである。「――その年の残暑の激しさといってはありませんでした。内中皆裸体です。六畳に三畳、二階が六畳という浅間ですから、開放しで皆見えますが、近所が近所だか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 毎夕納涼台に集る輩は、喋々しく蝦蟇法師の噂をなして、何者にまれ乞食僧の昼間の住家を探り出だして、その来歴を発出さむ者には、賭物として金一円を抛たむと言いあえりき、一夕お通は例の如く野田山に墓参して、家に帰れば日は暮れつ。火を点じて後、・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・ 首を振ることもできないように、身にさし迫った苦しき問題に悩みつつあった二人が、その悩みを忘れてここに一夕の緩和を得た。嵐を免れて港に入りし船のごとく、激つ早瀬の水が、僅かなる岩間の淀みに、余裕を示すがごとく、二人はここに一夕の余裕を得・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・吉弥を一夕友人に紹介したが、もう、その時は僕が深入りし過ぎていて、女優問題を相談するよりも、二人ののろけを見せたように友人に見えたのだろう。僕よりもずッと年若い友人は、来る時にも「田村先生はいますか」というような調子でやって来て、帰った時に・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・今では堀田伯の住邸となってる本所の故宅の庭園は伊藤の全盛時代に椿岳が設計して金に飽かして作ったもので、一木一石が八兵衛兄弟の豪奢と才気の名残を留めておる。地震でドウなったか知らぬが大方今は散々に荒廃したろう。(八兵衛の事蹟については某の著わ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・仮装会は啻だ鹿鳴館の一夕だけでなくて、この欧化時代を通ずる全部が仮装会であった。結局失態百出よりは滑稽百出の喜劇に終った。が、糞泥汚物を押流す大汎濫は減水する時に必ず他日の養分になる泥沙を残留するようにこの馬鹿々々しい滑稽欧化の大洪水もまた・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ふたたび貝石うる家の前に出で、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあまり、この蛤一升天保くらいならば一石も買うべけれと云えば、亭主それは食わむとにやと問う。元よりなりと答う。煮るかと云うに、いや生こそ殊にうましなぞと口より出まかせに饒舌り・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ただしかように申しますと、非常に広い問題になりまして、どうも一席の御話には尽す事が出来ないのでござりまする。馬琴が用いましたその小説中の言語と、当時の実際の言語とも一つの重要な関係点でありますれば、馬琴の描きました小説中の風俗習慣や儀式作法・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・碁を打つ者は五目勝った十目勝ったというその時の心持を楽んで勝とうと思って打つには相違ないが、彼一石我一石を下すその一石一石の間を楽む、イヤそのただ一石を下すその一石を下すのが楽しいのである。鷹を放つ者は鶴を獲たり鴻を獲たりして喜ぼうと思って・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫