・・・』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透かすように、池を窺いました。するとそのほの明い水の底に、黒金の鎖を巻いたような何とも知れない怪・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ 秘すほどなお聞きたさに、女房はわざとすねて見せ、「可いとも、沢山そうやってお秘しな。どうせ、三ちゃんは他人だから、お浜の婿さんじゃないんだから、」 と肩を引いて、身を斜め、捩り切りそうに袖を合わせて、女房は背向になンぬ。 ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ところで笊の目を潜らして、口から口へ哺めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易い。 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛廻るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、う・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 時彦はいともの静に、「お前、このごろから茶を断ッたな。」「いえ、何も貴下、そんなことを。」 と幽かにいいて胸を圧えぬ。 時彦は頤のあたりまで、夜着の襟深く、仰向に枕して、眼細く天井を仰ぎながら、「塩断もしてるようだ・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ お通はいとも切なき声にて、「さ、さ、そのことは聞えたけれど……ああ、何といって頼みようもない。一層お前、わ、私の眼を潰しておくれ、そうしたら顔を見る憂慮もあるまいから。」「そりゃ不可えだ。何でも、は、お前様に気を着けて、蚤にも・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・これをでかばちに申したら、国家の安危に係わるような、機会がないとも限らぬ、その拇指、その小指、その片手の働きで。 しかるをいわんや臨兵闘者皆陣列在前といい、令百由旬内無諸哀艱と唱えて、四縦五行の九字を切るにおいては、いかばかり不思議の働・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 彼は例のごとくいとも快活に胸臆を開いて語った。僕の問うがまにまに上京後の彼の生活をば、恥もせず、誇りもせず、平易に、率直に、詳しく話して聞かした。 彼ほど虚栄心のすくない男は珍らしい。その境遇に処し、その信ずるところを行なうて、そ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・その言葉を背中に聴かせながら、 ああ、宜いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。と答えてサッサと歩くと、 でもアテにして待ってますよ、ハハハ。と背後から大きな声で、なかなか調子が好い。世故に慣れているというまででなくても善・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・人を可哀いとも思わなければ、憎いとも思わないでいるのね。鼠の穴の前に張番をしている鸛のように動かずにいるのね。お前さんには自分の獲ものを引きずり出すことも出来ない。追っ駈けて攫まえることも出来ない。お前さんはただ獲ものの出て来るのを、澄まし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・、ふとしたはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の幟が、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音が聞えて淋しいとも侘びしいとも与兵衛が可愛そうでなら・・・ 太宰治 「音に就いて」
出典:青空文庫