・・・兼ねて此部屋には戸棚というものが無いからお秀は其衣類を柳行李二個に納めて室の片隅に置ていたのが今は一個も見えない、そして身には浴衣の洗曝を着たままで、別に着更えもない様な様である。六畳の座敷の一畳は階子段に取られて居るから実は五畳敷の一室に・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやったり、坐を定めさせ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・「妙だねえ、無いから帯や衣類を飲もうというのに、その後になって何が有るエ。「しみッたれるなイ、裸百貫男一匹だ。「ホホホホホ、大きな声をお出しでない、隣家の児が起きると内儀の内職の邪魔になるわネ。そんならいいよ買って来るから。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ とまた、ご自分の事を言い出し、「住むに家無く、最愛の妻子と別居し、家財道具を焼き、衣類を焼き、蒲団を焼き、蚊帳を焼き、何も一つもありやしないんだ。僕はね、奥さん、あの雑貨店の奥の三畳間を借りる前にはね、大学の病院の廊下に寝泊りして・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・それでなくても乏しかった衣類の、大半を、戦火で焼いてしまったので、こんど生れる子供の産衣やら蒲団やら、おしめやら、全くやりくりの方法がつかず、母は呆然として溜息ばかりついている様子であるが、父はそれに気附かぬ振りしてそそくさと外出する。・・・ 太宰治 「父」
・・・洗濯をすまし、鬚を剃って、いい男になり、部屋へ帰って、洗濯物は衣桁にかけ、他の衣類をたんねんに調べて血痕のついていないのを見とどけ、それからお茶をつづけさまに三杯飲み、ごろりと寝ころがって眼をとじたが、寝ておられず、むっくり起き上ったところ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・それは質屋で質流れの衣類の競売をしている光景らしく判断された。みんな慾の深そうな顔をした婆さんや爺さんが血眼になって古着の山から目ぼしいのを握み出しては蚤取眼で検査している。気に入ったのはまるでしがみついたように小脇に抱いて誰かに掠奪される・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・けれども、出入りの八百屋の御用聞き春公と、家の仲働お玉と云うのが何時か知ら密通して居て、或夜、衣類を脊負い、男女手を取って、裏門の板塀を越して馳落ちしようとした処を、書生の田崎が見付けて取押えたので、お玉は住吉町の親元へ帰されると云う大騒ぎ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ もうそろそろ夜風の寒くなりかけた頃の晦日であったが、日が暮れたばかりのせいか、格子戸内の土間には客は一人もいず、鉄の棒で境をした畳の上には、いつも見馴れた三十前後の顔色のわるい病身らしい番頭が小僧に衣類をたたませていた。われわれは一先土間・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・船員が極り切って着ている、続きの菜っ葉服が、矢っ張り私の唯一の衣類であった。 私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。 私は大分飲んでいた。時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫