・・・「だって海はこう云う色なんだもの。」「代赭色の海なんぞあるものかね。」「大森の海は代赭色じゃないの?」「大森の海だってまっ青だあね。」「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」 母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・「なあんだね、畑の土手にあるのかね?」「ううん、畑の中にあるんだよ。この向うの麦畑の……」 金三はこう云いかけたなり、桑畑の畔へもぐりこんだ。桑畑の中生十文字はもう縦横に伸ばした枝に、二銭銅貨ほどの葉をつけていた。良平もその枝を・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・「お乳。」 と可愛い小児の声する。……「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」「まあ、のの様ではありません、母ちゃんよ。」「ううん、欲くないの、坊、のんだの、のの様の・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・と、おかおを だすと、赤ちゃんが、「ううん。」と いって、おこりました。「いじを つついては いけません。」と、おかあさんが おっしゃいました。「赤ちゃんの いじわる。」と いって、つね子ちゃんは おもてへ いき・・・ 小川未明 「おっぱい」
・・・「あら、お姉さまの手、とっても熱い。熱があるみたい……」 言いながら道子は、びっくりしたように姉の顔を覗きこんで、「……それに、随分お痩せになったわね。」「ううん、なんでもあれへん。痩せた方が道ちゃんに似て来て、ええやないの・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・「『カ』ちうとこへ行くの」「かつどうや」「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。「ううん」と勝子は首をふって「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。「ようちえん?」「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「さあ、パン上げるから、お出」と彼女は娘を呼んだ。「ううん、鞠ちゃんパンいや――鯣」 と鞠子は首を振ったが、間もなく母の傍へ行って、親子でパンを食った。「鞠ちゃんにくれるくれるッて言って、皆な母ちゃんが食って了う」と鞠子は甘・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「きょうは、また、」青年は、美しい顔に泣きべその表情を浮べて、「へんですね。」「ううん。」乙彦も、幼くかぶりを横に振って、「それでいいのだ。僕の真似なんかしちゃ、いけないよ。君は、君自身の誇りを、もっと高く持っていていい人だ。それに・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・「芳沢さんや」お絹がかけ手の声をきくと、そう言って笑いながら、いつにない浮き立った調子で話していた。お芳も出てきて、三通話にわたった。「芳沢さんってお爺さんのことか」「ううん、運転士。どこも景気が悪いとみえて、芳ちゃんとお神さん・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・木樵は草の中にどしりと落ちてううんと云いながら少し動いたようでしたがまだ気がつきませんでした。 土神は大声に笑いました。その声はあやしい波になって空の方へ行きました。 空へ行った声はまもなくそっちからはねかえってガサリと樺の木の処に・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
出典:青空文庫