・・・千代は鏡の中でぱっと眼を移し、重って写っている彼の顔に向って華やかに微笑みかけそして、ゆっくりどきながら云った。「まあ、御免遊ばせ」 そしてすっと開きから出て行った。 又、彼女は、食事の前後以外には、どんなに食事部屋でがたがた物・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・すぐ、小走りに襖の際まで姿を現し、ひょいひょいと腰をかがめ、正直な赫ら顔を振って黒い一対の眼で対手の顔を下から覗き込み乍ら「はい、はい」と間違なく、あとの二つを繰返す。―― 気の毒な老婆は、降誕祭の朝でも、彼女の返事を一つで止め・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・映画の手法、映画の持っている便利なテンポを全く無視する程腰を据えて沙漠とその沙漠をラクダに乗って横切って行く土民とイタリー人の指揮官の一隊を写している。監督の意図では沙漠というものの持つ広大な自然力と小さい人間との対照、並に小さい躯に盛られ・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・民主なる文学ということは、私たち一人一人が、社会と自分との歴史のより事理にかなった発展のために献身し、世界歴史の必然な働きをごまかすことなく映しかえして生きてゆくその歌声という以外の意味ではないと思う。 そして、初めはなんとなく弱く、あ・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・『婦人之友』の調査で、うどんがたべたいものの最下位にあるのも実際を映している。そんなに、この頃はうどん、うどんなのだが、そのうどんに絡んで人情の機微が動く姿も可笑しく悲しい。 或る小学校に三人の女先生がいた。ずっと仲よしで、今年は一・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・芸術の素質として民族に特有なものは、いつも具体的であって、それがさけることが出来ない歴史の波、社会の発展の段階の明暗を映していることが、十分芸術家の生活感情として把握されなければならないのだろう。 音楽の歴史と諷刺のことも何となく知りた・・・ 宮本百合子 「音楽の民族性と諷刺」
・・・そこで人々はこの事件に話を移して、フォルチュネ、ウールフレークが再びその手帳を取り返すことができるだろうかできないだろうかなど言い合った。 そして食事が終わった。 人々がコーヒーを飲み了ったと思うと、憲兵の伍長が入り口に現われた。か・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・兎に角この一山を退治ることは当分御免を蒙りたいと思って、用箪笥の上へ移したのである。 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。 隣の間では、本能的掃除の音が歇んで、唐紙が開いた。膳が出た。 木村は根芋の這入っている味噌汁・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それから十五歳の時には、もう魚家の少女の詩と云うものが好事者の間に写し伝えられることがあったのである。 そう云う美しい女詩人が人を殺して獄に下ったのだから、当時世間の視聴を聳動したのも無理はない。 ―――――――――・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・山を一面に包んでいた雪が、巓にだけ残って方々の樅の木立が緑の色を現して、深い深い谷川の底を、水がごうごうと鳴って流れる頃の事である。フランツは久振で例の岩の前に来た。 そして例のようにハルロオと呼んだ。 麻のようなブロンドな頭を振り・・・ 森鴎外 「木精」
出典:青空文庫