・・・これまでにも他の探険隊のとった写真やその記事などをいろいろ見てかなりまでは極地の風物の概念を得たつもりでいたのだが、しかし活動映画として映しだされたのを見ると、ただの静映像で見ただけでは到底想像のできなかったいろいろの真実をありありと見せら・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・また大地震で家がつぶれ、道路が裂けて水道が噴出したり、切断した電線が盛んにショートしてスパークするという見ていて非常に危険な光景を映し出して、その中で電話工夫を活躍させている。それからまた犯人と目星をつけた女の居所を捜すのに電話番号簿を片端・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・無理の圧迫が劇しい時には弱虫の本性を現してすぐ泣き出すが、負けぬ魂だけは弱い体躯を駆って軍人党と挌闘をやらせた。意気地なく泣きながらも死力を出して、何処でも手当り次第に引っかき噛みつくのであった。喧嘩を慰みと思っている軍人党と、一生懸命の弱・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・お絹はそう言って、銚子にごぽごぽ酒を移していた。 廓はどこもしんとしていた。 そこへお芳も連れの楼主のお神といっしょにやってきた。七 ある日も道太は下座敷へ来て、茶の間にいるお絹や、中の間で帳づけをしているおひろと話・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 四 そう呟いて善ニョムさんはまた向き直って、肥料を移した手笊を抱えて、調子よく、ヒョイヒョイと掴んで撒きながら、「金の大黒すえてやろ、ホイキタホイ」 麦の芽は、新しく撒かれる肥料の下で、首を振り、顔を覗かし・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・医者へもゆけず、ぐるぐるにおしまいた繃帯に血が滲み出ているのが、黒い塀を越して来る外光に映し出されて、いやに眼頭のところで、チラチラするのである。 恩知らずの川村の畜生め! 餓鬼時分からの恩をも忘れちまいやがって、俺の頭を打ち割るなんて・・・ 徳永直 「眼」
・・・然し幾くもなくして湖山は其居を神田五軒町に移した。 明治年間池塘に居を卜した名士にして、わたくしの伝聞する所の者を挙ぐれば既に述べた福地桜痴小野湖山の他には篆刻家中井敬所と箕作秋坪との二人があるのみである。 わたくしは甚散漫ながら以・・・ 永井荷風 「上野」
・・・芸術的洗練を経たる空想家の心にのみ味わるべき、言語にいい現し得ぬ複雑豊富なる美感の満足ではないか。しかもそれは軽く淡く快き半音下った mineur の調子のものである。珍々先生は芸者上りのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物いう浮世絵と見て楽し・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ わたしは何故百枚ほどの草稿を棄ててしまったかというに、それはいよいよ本題に進入るに当って、まず作中の主人公となすべき婦人の性格を描写しようとして、わたしは遽にわが観察のなお熟していなかった事を知ったからである。わたしは主人公とすべき或・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・長唄の趣味は一中清元などに含まれていない江戸気質の他の一面を現したものであろう。拍子はいくら早く手はいくら細くても真直で単調で、極めて執着に乏しく情緒の粘って纏綿たる処が少い。しかしその軽快鮮明なる事は俗曲と称する日本近代の音楽中この長唄に・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫