・・・わたくしは今日まで、幸にしておのれの好まざる俳優の演技を見ず、おのれの好まざる飲食物を口にせずしてすんだ。知人の婚礼にも葬式にも行かないので、歯の浮くような祝辞や弔辞を傾聴する苦痛を知らない。雅叙園に行ったこともなければ洋楽入の長唄を耳にし・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・おい、縁起でもないぞ。てぐすも飼えないところにどうして工場なんか建てるんだ。飼えるともさ。現におれをはじめたくさんのものが、それでくらしを立てているんだ。」 ブドリはかすれた声で、やっと、「そうですか。」と言いました。「それにこ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・おい、縁起でもないぞ。取れもしないところにどうして工場なんか建てるんだ。取れるともさ。現におれはじめ沢山のものがそれでくらしを立てているんじゃないか。」 ネネムはかすれた声でやっと「そうですか。おじさん。」と云いました。「それに・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・「じいさん、ポラーノの広場の方角を教えてくれたら、おいらあ、じいさんに悪魔の歌をうたってきかせるぜ。」「縁起でもねえ、まあもっと這いまわって見ねえ。」 じいさんはぷりぷり怒ってぐんぐんつめ草の上をわたって南の方へ行ってしまいまし・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・よして下さいよ。縁起でもないわ。」 太陽は一日かゞやきましたので、丘の苹果の半分はつやつや赤くなりました。 そして薄明が降り、黄昏がこめ、それから夜が来ました。 まなづるが「ピートリリ、ピートリリ。」と鳴いてそらを通りました・・・ 宮沢賢治 「まなづるとダァリヤ」
・・・ 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」 亭主は働きのない、蒼い輓い顔をした小男であった。「――俺そんなもの、買って来やしねえ」「うそ! 壁まで蓮の花だらけだよ。この人ったら」「買わねえよ――何云ってる・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・のシュトラウス夫人では、阿蘭とはちがった、小川のような女心の可憐なかしこさ、しおらしい忍耐の閃く姿を描き出そうとしているのだが、その際、自分の持っている情感の深さの底をついた演技の力で、そういう人柄の味を出そうとせず、その手前で、いって見れ・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・それなどは、リリアン・ギッシュの持味として演技の落付き、重々しい美はあったがシナリオ全体としては従来の「支那街」の概念から一歩も脱していなかった。東洋のグロテスクな美、猟奇心というものが主にされていたのである。「大地」は、バックの原作が・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・単純な西洋風をまねたばかりでは活動写真の範囲を出ないし、われわれの日常生活の習慣が感情表現に加えている長年の制約を、演技的に止揚することは大切な努力の一つとして将来に期待されることである。「裸の町」を観ても感じたことであったが、日本の女・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・「高瀬舟」は、大正四年の作で、鴎外の歴史ものとしては、どれよりもはっきり、社会通念への疑問をテーマとしてかかれたものと思われる。「高瀬舟縁起」という文章で、鴎外は「翁草」によっているこの短い作の中に「二つの大きい問題が含まれていると思った」・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
出典:青空文庫