・・・の無条件な謳歌者でない事だけは想像される。少なくも彼の頭が鉄と石炭ばかりで詰まっていない証拠にはなるかと思う。 彼はまだこれからが働き盛りである。彼が重力の理論で手を廻さなかった電磁気論は、ワイルによって彼の一般相対性原理の圏内に併・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 「人生謳歌」 グラノフスキーの「人生謳歌」というのを見せてもらった。原名は「人生の歌」というのであるが、自分の見たところではどうも人生を謳歌したものとは思われない。むしろやはり一種のトーテンタンツであるような気がす・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・こういう絵を見ては誰でも資本主義を謳歌したくなる。 安井氏の「風吹く湖畔」を見ると日本の夏に特有な妙に仇白く空虚なしかし強烈な白光を想い出させられるが、しかしそういう点ではむしろ先年の「海岸風景」の方から一層強い印象を受けたような気がし・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・ 上野の桜は都下の桜花の中最早く花をつけるものだと言われている。飛鳥山隅田堤御殿山等の桜はいずれも上野につぐものである。之を小西湖佳話について見るに、「東台ノ一山処トシテ桜樹ナラザルハ無シ。其ノ単弁淡紅ニシテ彼岸桜ト称スル者最多シ。古又・・・ 永井荷風 「上野」
・・・雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないように考えられている。この場合わが身一つの外に、三界の首枷というもののないことは、誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。 ○ わたくしの身にとって妻帯の・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 最初河水の汎濫を防ぐために築いた向島の土手に、桜花の装飾を施す事を忘れなかった江戸人の度量は、都会を電信柱の大森林たらしめた明治人の経営に比して何たる相違であろう。 巴里の人たちは今でも日曜日には家族を引連れて郊外の青草の上で葡萄・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・それより三年の後平出鏗二郎氏が『東京風俗志』三巻を著した時にも著者は向嶋桜花の状を叙して下の如く言っている。「桜は向嶋最も盛なり。中略三囲の鳥居前より牛ノ御前長命寺の辺までいと盛りに白鬚梅若の辺まで咲きに咲きたり。側は漂渺たる隅田の川水青う・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである。けれども国家の与うべき報酬は、一銭一厘たりとも好悪によって支配さるべきではない。・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・能代の膳には、徳利が袴をはいて、児戯みたいな香味の皿と、木皿に散蓮華が添えて置いてあッて、猪口の黄金水には、桜花の弁が二枚散ッた画と、端に吉里と仮名で書いたのが、浮いているかのように見える。 膳と斜めに、ぼんやり箪笥にもたれている吉里に・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 今、実例をツルゲーネフに取ってこれを云えば、彼の詩想は秋や冬の相ではない、春の相である、春も初春でもなければ中春でもない、晩春の相である、丁度桜花が爛と咲き乱れて、稍々散り初めようという所だ、遠く霞んだ中空に、美しくおぼろおぼろとした・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
出典:青空文庫