・・・この格闘に於いては、鴎外の旗色はあまり芳しくなく、もっぱら守勢であったように見えるが、しかし、庭に落ちて左手に傷を負うてからは「僕には、此時始めて攻勢を取ろうという考が出た。」と書いてあるから、凄い。人がとめなければ、よっぽどやったに違いな・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・しかし彼の旅行は単に月並な名所や景色だけを追うて、汽車の中では居眠りする亜類のではなくて、何の目的もなく野に山に海浜に彷徨するのが好きだという事である。しかし彼がその夢見るような眼をして、そういう処をさまよい歩いている間に、どんな活動が彼の・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・またそういう人々がその生活の日ごとに、人類から彼等が負う負債を増しながら、同時に同胞に贈るべきものを増大して行った事が分るだろう。何かの思想あるいは何かの発明の起源を捜そうとする労力は、太陽の下に新しき物なしというあっけない結論に終るに極っ・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・それで多くの場合には各自の意見を参酌し折れ合って大体の価値を決め、そうして皆が十分の責任を負うというだけの自信を得た上で及落を決定する。そうするのが実行上最も便宜であり、結果においても比較的公平を期することが出来るであろう。 こんな工合・・・ 寺田寅彦 「学位について」
九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。今日は曇天で暑さも薄く道も悪くないのでなかなか公園も賑おうている。西郷の銅像の後ろから黒門の前へぬけて動物園の方へ曲ると外・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・可しこんなものを焼捨てて了おう。」というんで、秋山大尉がその手紙を奥さんの目の前で皆な火に燻べて了った。それで奥さんの方も気が弛んだ。 秋山大尉は、そうと油断さしておいて、或日××河へ飛込んだがだ。河畔の柳の樹に馬を繋いで、鉛筆で遺書を・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「おう、青井」 むこうから、三吉をよぶ声がして、つづけてわらい声がいった。「どうだったい、きょうは?」 路地にひらいた三尺縁で、長野と深水が焼酎をのんでいた。長野は、赤い組長マークのついた菜葉服の上被を、そばの朝顔のからんだ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・世界の如何なる片隅をも我家のように楽しく談笑している外国人の中に交って、自分ばかりは唯独り心淋しく傾けるキァンチの一壜に年を追うて漸く消えかかる遠い国の思出を呼び戻す事もあった。 銀座界隈には何という事なく凡ての新しいものと古いものとが・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・冬の闇夜に悪病を負う辻君が人を呼ぶ声の傷しさは、直ちにこれ、罪障深き人類の止みがたき真正の嘆きではあるまいか。仏蘭西の詩人 Marcel Schwob はわれわれが悲しみの淵に沈んでいる瞬間にのみ、唯の一夜、唯の一度われわれの目の前に現われ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ わたくしが帝国劇場にオペラの演奏せられるたびたび、殆毎夜往きて聴くことを娯しみとなしたのは、二十余年前笈を負うて遠く西洋に遊んだ当時のことが歴々として思返されるが故である。ミュッセの詩に言われた如く、オペラはわたくしに取っては「曾て聴・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
出典:青空文庫