・・・「さあ、もう起きるのだよ。出発だ。」 かず枝は、口を小さくあけて眠っていた。きょとんと眼をひらいて、「あ、もう、そんな時間になったの?」「いや、おひるすこしすぎただけだが、私はもう、かなわん。」 なにも考えたくなかった。・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 明方にはやや凪いだ。雨も止んだが波の音はいよいよ高かった。 起きるとすぐ波を見ようと裏の土堤へ出た。 熊さんの小屋は形もなく壊れている。雨を防ぐ荒筵は遠い堤下へ飛んで竹の柱は傾き倒れ、軒を飾った短冊は雨に叩けて松の青葉と一緒に・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・「うん、起きる事は起きるが山へかかってから、あんなに早く歩行いちゃ、御免だ」と碌さんはすぐ予防線を張った。「ともかくも六時に起きて……」「六時に起きる?」「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食って、八時半に便所から・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 起きるにちがいない! 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 朝、深谷は静かに安岡の起きるのを待っていた。 安岡は十一時ごろになって死のような眠りからよみがえった。 不思議なことには深谷も、まだ寝室にいた。 安岡が眼を覚ましたことを見ると、「君の欠席届は僕が出しておいたよ。安岡君・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・「おいおい。起きるんだよ。勘定だ勘定だ。」「キーイ、キーイ、クワァ、ううい。もう一杯お呉れ。」「何をねぼけてんだよ。起きるんだよ。目をさますんだよ。勘定だよ。」「ううい、あああっ。ううい。何だい。なぜひとの頭をたたくんだい。・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・この電話でみれば、何処よりも先に国警本部が事件の起きることを予知していたわけです。電車がぶつかってめちゃめちゃになった三鷹の交番に警官は一人もいなかったという事実は何を物語るでしょうか。捜査のすすむにつれて三鷹の組合の副委員長をしている石井・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・それで奥さんは手水に起きる度に、廊下から見て、秀麿のいる洋室の窓の隙から、火の光の漏れるのを気にしているのである。 ―――――――――――――――― 秀麿は学習院から文科大学に這入って、歴史科で立派に卒業した。卒業論・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 灸は起きると直ぐ二階へ行った。そして、五号の部屋の障子の破れ目から中を覗いてみたが、蒲団の襟から出ている丸髷とかぶらの頭が二つ並んだまままだなかなか起きそうにも見えなかった。 灸は早く女の子を起したかった。彼は子供を遊ばすことが何・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・もう夜も遅いし、明朝は三時に起きるというのでその夜はあまり話もせずに寝た。 寝たと思うとすぐに起こされたような感じで、朝はひどく眠かったが、宿の前から小舟に乗って淀川を漕ぎ出すと、気持ちははっきりしてきた。朝と言ってもまだまっ暗で、淀川・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫