・・・ 看護婦はおどおどしながら、「先生、このままでいいんですか」「ああ、いいだろう」「じゃあ、お押え申しましょう」 医学士はちょっと手を挙げて、軽く押し留め、「なに、それにも及ぶまい」 謂う時疾くその手はすでに病者の・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ 尋常ならぬ新婦の気色を危みたる介添の、何かは知らずおどおどしながら、「こちらへ。」 と謂うに任せ、渠は少しも躊躇わで、静々と歩を廊下に運びて、やがて寝室に伴われぬ。 床にはハヤ良人ありて、新婦の来るを待ちおれり。渠は名を近・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・も、屋根も、居酒屋の軒にかかった杉の葉も、百姓屋の土間に据えてある粉挽臼も、皆目を以て、じろじろ睨めるようで、身の置処ないまでに、右から、左から、路をせばめられて、しめつけられて、小さく、堅くなつて、おどおどして、その癖、駆け出そうとする勇・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・こんな場合を初めて経験する省作はそのおとよさんの手をとり返しもせず、とられたままにおどおどしていた。とられた手に一層力がはいったと思うと、おとよさんはそのまま手を引き、燕のように身をひるがえして戸の内へ消えてしまった。省作はしばらくただ夢心・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・人目を恐れる様になっては、もはや罪悪を犯しつつあるかの如く、心もおどおどするのであった。母は口でこそ、男も女も十五六になれば児供ではないと云っても、それは理窟の上のことで、心持ではまだまだ二人をまるで児供の様に思っているから、その後民子が僕・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 昨夜は実に意外でした、どうせしみじみと話のできる場合ではないですけれど、少しは話もしたかったし、それにわたしはおとよさんを悦ばせる話も持っていたのです、溜りに溜った思いが一時に溢れたゆえか、ただおどおどして咽せて胸のうちはむちゃくちゃ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ B医師は、夕方、自分を呼びにきた、子供の母親の、おどおどした目つきと、心配そうな青ざめた顔とを思いあわせたのです。「あんなになるまで、医者にかけないという法はないのだが、もう手後れであるかもしれない。」 悲壮な気持ちで、門を入・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・ここでおどおどしては俺もお終いだと思うと、眼の前がカッと血色に燃えて、「用って何もありません。ただ歩いているだけです」 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすよう・・・ 織田作之助 「雨」
・・・少しも冴えたところの無い、おどおどした眼付きだった。 かつて、船場新聞で相手構わず攻撃の陣を張っていた頃、どこかの用心棒が撲り込みに来たことがあったが、その時お前は部屋の隅にじっと腕組みして、いくらか蒼ざめながら彼等をにらんでいた――あ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であっ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫