・・・ったのか、なるほどそんな噂が立つのも無理はあるまいという想いにいきなり胸をつかれたが、同時に佐伯の生活にはもはや耳かきですくうほどの希望も感動も残っていず、今は全く青春に背中を向け、おまけにその背中を悔恨と焦躁の火でちょろちょろ焼かれている・・・ 織田作之助 「道」
・・・それに、娘の方から寝台へ誘ったといっても、万一それが無邪気な気持からであったとすれば小沢の思い違いはきっと悔恨を伴うだろう。「君、こうしていて怖くない……?」 小沢はそうきいてみた。すると、娘は、「怖くないわ、あたし怒らないわ」・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ ××というのは、思い出せなかったが、覇気に富んだ開墾家で知られているある宗門の僧侶――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹に連想を持っていた。それにしてもどうしてあんな夢を見たんだろう。しかし催情的な感じはなかった・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・私は墨汁のようにこみあげて来る悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影を眺めていた。そして落日を見ようとする切なさに駆られながら、見透しのつかない街を慌てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当っ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・それを見ると堯の心には墨汁のような悔恨やいらだたしさが拡がってゆくのだった。日向はわずかに低地を距てた、灰色の洋風の木造家屋に駐っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日を眺めているかのように見えた。 冬陽は郵便・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・尤も僕と最初から理想を一にしている友人、今は矢張僕と同じ会社へ出ているがね、それと二人で開墾事業に取掛ったのだ、そら、竹内君知っておるだろう梶原信太郎のことサ……」「ウン梶原君が!? あれが矢張馬鈴薯だったのか、今じゃア豚のように肥って・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・それに、こうかえられては、荒らした畠を、また作れるように開墾するんがたいへんじゃ。」 線路を、どうしてわざと曲りくねらすのか、それが変だった。直線が一番いゝ筈じゃないか。一寸、そんな気がした、すると、誰れかゞ、「今度ア、伊三郎の田を・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 制え難い悔恨の情が起って来た。おせんがこの部屋で菫の刺繍なぞを造ろうとしては、花の型のある紙を切地に宛行ったり、その上から白粉を塗ったりして置いて、それに添うて薄紫色のすが糸を運んでいた光景が、唯涙脆かったような人だけに、余計可哀そう・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・「あります。悔恨です。」こんどは、打てば響くの快調を以て、即座に応答することができた。「悔恨の無い文学は、屁のかっぱです。悔恨、告白、反省、そんなものから、近代文学が、いや、近代精神が生れた筈なんですね。だから、――」また、どもってしま・・・ 太宰治 「鴎」
・・・一生懸命に金をためて、十二三円たまったから、それを持ってカフェへ行き、もっともばからしく使って来ました。悔恨の情をあてにしたわけですね。」「それで書けましたか。」「駄目でした。」 僕は噴きだした。青扇も笑い出して、ホープをぽんと・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫