・・・そんな男に引懸かるというのは一体どういう量見なのでしょう。………「僕は小えんの不しだらには、呆れ返らざるを得ないと云った。しかし若槻の話を聞いている内に、だんだん僕を動かして来たのは、小えんに対する同情なんだ。なるほど若槻は檀那としては・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・もしこの椅子のようなものの四方に、肘を懸ける所にも、背中で倚り掛かる所にも、脚の所にも白い革紐が垂れていなくって、金属で拵えた首を持たせる物がなくって、乳色の下鋪の上に固定してある硝子製の脚の尖がなかったなら、これも常の椅子のように見えて、・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ さりとも、人は、と更めて、清水の茶屋を、松の葉越に差窺うと、赤ちゃけた、ばさらな銀杏返をぐたりと横に、框から縁台へ落掛るように浴衣の肩を見せて、障子の陰に女が転がる。 納戸へ通口らしい、浅間な柱に、肌襦袢ばかりを着た、胡麻塩頭の亭・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 四 金石街道の松並木、ちょうどこの人待石から、城下の空を振向くと、陽春三四月の頃は、天の一方をぽっと染めて、銀河の横たうごとき、一条の雲ならぬ紅の霞が懸る。…… 遠山の桜に髣髴たる色であるから、花の盛には相・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・午頃の蔭もささぬ柳の葉に、ふわふわと柔い風が懸る。……その柳の下を、駈けて通る腕車も見えず、人通りはちらほらと、都で言えば朧夜を浮れ出したような状だけれども、この土地ではこれでも賑な町の分。城趾のあたり中空で鳶が鳴く、と丁ど今が春の鰯を焼く・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 二葉亭は一時哲学に耽った事があったが、その哲学の根柢は懐疑で、疑いがあるから哲学がある、疑いがなくて仮定の名の下に或る前提を定めて掛るなら最うドグマであって哲学でないといっていた。が、一切の前提を破壊してしまったならドコまで行っても思・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・ 何番が売れているのかと、人気を調べるために窓口へ寄っていた人々は、余裕綽々とした寺田の買い方にふと小憎らしくなった顔を見上げるのだったが、そんな時寺田の眼は苛々と燃えて急に挑み掛るようだった。何かしら思い詰めているのか放心して仮面のよ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・それがしは、今日今宵この刻まで、人並、いやせめては月並みの、面相をもった顔で、白昼の往来を、大手振って歩いて来たが、想えば、げすの口の端にも掛るアバタ面! 楓どの。今のあの言葉をお聴きやったか」「いいえ、聴きませぬ。そのような、げす共の・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ 敵が来て傷を負ったおれの足の皮剥に懸るを待ってみるのか? それよりも寧そ我手で一思に…… でないことさ、そう気を落したものでないことさ。活られるだけ活てみようじゃないか。何のこれが見付かりさえすれば助かるのだ。事に寄ると、骨は避けてい・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・と声を高めて乗掛る。「ま、ま、そう大きな声で……」と自分はまごまご。「大きな声がどうしたの、いくらでも大きな声を出すよ……さア今一度言って御覧ん。事とすべに依ればお光も呼んで立合わすよ」という剣幕。この時二階の笑声もぴたり止んで、下・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫