・・・作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などという・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私は買物は、下手なほうではなかったのですけど、このごろは、肉もおさかなも、なんにも買えませんので、市場で買物籠さげて立ったまま泣きべそを掻く事があります。」したたかに、しょげている。 私は自分の頓馬を恥じた。海苔が無いとは知らなかった。・・・ 太宰治 「新郎」
・・・、私が小さい時から人なかへ出ることを億劫がり、としとってからもその悪癖が直るどころか、いっそう顕著になって、どうしても出席しなければならぬ会合にも、何かと事を構えて愚図愚図しぶって欠席し、人には義理を欠くことの多く、ついには傲慢と誤解され、・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ といひければ、 イサクすなはち父に言ふ、 火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。 アブラハム、言ひけるは、 子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。 斯くして二人ともに進みゆきて、遂に山のい・・・ 太宰治 「父」
・・・泣きべそを掻くような気持であった。 僕は今でもそうだが、こんな時には、お祭りに連れて行かれず、家にひとり残された子供みたいな、天をうらみ、地をのろうような、どうにもかなわない淋しさに襲われるのだ。わが身の不幸、などという大袈裟な芝居がか・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・突きおとされた豆腐屋の末っ子は落下しながら細長い両脚で家鴨のように三度ゆるく空気を掻くようにうごかして、ぼしゃっと水面へ落ちた。波紋が流れにしたがって一間ほど川下のほうへ移動してから波紋のまんなかに片手がひょいと出た。こぶしをきつく握ってい・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・知識欲が丸でなくて、紀行文を書くなんと云うことに興味を有せない身にとっては、余り馬鹿らしい。 こう考えた末、ポルジイは今時の貴族の青年も、偉大なる恋愛のためには、いかなる犠牲をも辞せないと云うことを証明するに至った。ポルジイは始て思索を・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・『明星』にあこがれた青年、なかばロマンチックで、ファンタスチックで、そしてまだ新しい思潮には到達しない青年の群れ――その群れを描くことについては、私にとって非常な困難があった。中学時代のかれの初恋、つづいて起こった恋愛事件、それがのみ込めな・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・知らない答をXと名づけて、そしてそれを知っているような顔をして取扱って、それと知っているものとの関係式を書く。そこからこのXを定めるという方法だ」と云って聞かせた。この剽軽な、しかし要を得た説明は子供の頭に眠っている未知の代数学を呼び覚ます・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・また後庭林中の夜のラヴシーンはシュヴァリエ・マクドナルドの賛美者たる若きファンのための独参湯としてやはり欠くべからざる一要件であろう。それからまた鹿狩りの場に現われた貴族的なスポーツ風景は国粋主義の紳士淑女を喜ばすものであり、シャトーにおけ・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
出典:青空文庫