・・・頼み方を教えて、大切な金を貸すというのは、世間には類の無いことじゃ。しかし、貴方はとも角も、御主人は見捨て難い故、まあ、お貸ししましょう。頭をお上げになって、よろしい」 満右衛門は頭を上げた咄嗟に、相手を討ち果たして、腹を切ろうと思った・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・校内の食堂はむろん、あちこちの飯屋でも随分昼飯代を借りていて、いわばけっして人に金を貸すべき状態ではなかった。それをそんな風に金貸したろかと言いふらし、また、頼まれると、めったにいやとはいわず、即座によっしゃと安請合いするのは、たぶん底抜け・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・千円でも二千円でも、あんたの要るだけの金は無利子の期間なしで貸すから、何か商売する気はないかと、事情を訊くなり、早速言ってくれた。地獄で仏とはこのことや、蝶子は泪が出て改めて、金八が身につけるものを片ッ端から褒めた。「何商売がよろしおまっし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・が悪いのか、母と妹とが悪いのか、今更いうべき問題でもないが、ただ一の動かすべからざる事実あり曰く、娘を持ちし親々は、それが華族でも、富豪でも、官吏でも、商人でも、皆な悉く軍人を聟に持ちたいという熱望を持ていたのである。 娘は娘で軍人を情・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・八千円ばかりの金高から百円を帳面で胡魔化すことは、たとい自分に為し得ても、直ぐ後で発覚る。又自分にはさる不正なことは思ってみるだけでも身が戦えるようだ。自分が弁償するとしてその金を自分は何処から持て来る? 思えば思うほど自分はどうして可・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・風なく波なく、さしくる潮の、しみじみと砂を浸す音を翁は眼閉じて聴きぬ。さすらう旅の憂もこの刹那にや忘れはてけん、翁が心、今ひとたび童の昔にかえりぬ。 あわれこの火、ようように消えなんとす。竹も燃えつき、板も燃えつきぬ。かの太き丸太のみは・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・更に深く考えてみると、この縁は貴所の申込が好し先であってもそれは成就せず矢張、細川繁の成功に終わるようになっていたのである、と拙者は信ずるその理由は一に貴所の推測に任かす、富岡先生を十分に知っている貴所には直ぐ解るであろう。 かつ拙者は・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・白い粘土で塗りかためられた煙突からは、紫色の煙が薄く、かすかに立のぼりはじめたばかりだ。 ウォルコフは、手綱をはなし、やわい板の階段を登って、扉を叩いた。 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻っ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・知人も無さそうだし、貸す風でもねえが。と独語つところへ、うッそりと来かかる四十ばかりの男、薄汚い衣服、髪垢だらけの頭したるが、裏口から覗きこみながら、異に潰れた声で呼ぶ。「大将、風邪でも引かしッたか。 両手で頬杖しながら匍匐臥に・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・そんなところへこのあやふやな気持を持ってゆき、それをゴマかすためにでたらめをむちゃくちゃにしゃベる! とんでもないことだ! ことごとにこんな自分が情けなく思った。彼は戻りかけた。しかしもう気持が、寄れないところへ行っていた。彼は別な、公園の・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
出典:青空文庫