・・・ 暫時無言で二人は歩いていたが、大友は斯く感じると、言い難き哀情が胸を衝いて来る。「然しね、お正さん、貴女も一旦嫁いだからには惑わないで一生を送った方が可しいと僕は思います。凡て女の惑いからいろんな混雑や悲嘆が出て来るものです。現に・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・意欲そのものの善悪、いかに意欲するかでなく何を意欲するかの実質内容につき道徳的判断を下したいのはまたわれわれの今ひとつのやみ難き要請である。この要求からカントの倫理学を修正しようとするものが最近いわゆる実質的価値の倫理学である。『倫理学にお・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・倉皇として奔命し、迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の愍みの愛のために哭きつつ一生を生きるのである。「日蓮は涙流さぬ日はなし」と彼はいった。 日蓮は日本の高僧中最も日本的性格を持ったそれである。彼において・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・だから仏教には昔から合い難き師に合うとか、享け難き人身を享けてとか、百千万劫難遭遇の法を聴くとかいってこのかりそめならぬ縁の契機を重んじるのである。人と人との接触というものは軽くおろそかに扱えばそれまでの偶然事で深い気持などは起こるものでは・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・たのでもあろうが、一つには平常同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれを鋳ることをする芸術上の兄弟分のような関係から、自然と離れ難き仲になっていた故もあったろう。若崎の・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・間の宿とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎を得たれば、小酌に疲れを休めて快く眠る。夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕に通う風も涼しきに、家居続ける東京なら・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える。」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛みたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。佐渡には何も無い。あるべ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・私は、救い難き、ごろつきとして故郷に喧伝されるに違いない。 その後の私の汚行に就いては、もはや言わない。ぬけぬけ白状するということは、それは、かえって読者に甘えている所以だし、私の罪を、少しでも軽くしようと計る卑劣な精神かも知れぬし、私・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ 第一にかれを本国へ返さるる事は上策也(此事難きに似て易き歟 第二にかれを囚となしてたすけ置るる事は中策也(此事易きに似て尤 第三にかれを誅せらるる事は下策也 将軍は中策を採って、シロオテをそののち永く切支丹屋敷の獄舎に・・・ 太宰治 「地球図」
・・・それは写真器械というものと人間の目というものの間に存する一つの越え難き溝渠の存在を忘れているように私には思われることである。 急速な運動を人間の目で見る場合には、たとえば暗中に振り回す線香の火のような場合ならば網膜の惰性のためにその光点・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫