わたしたちが文学を愛するこころもちの最も純粋な情熱は、いつも、その作品をよみ、それを書いた作家に心をひかれる人々自身の、いかに生きるか、の課題に関連している。過去の文学作品、また今日かかれている作品をよみ、作家について研究・・・ 宮本百合子 「あとがき(『作家と作品』)」
・・・こんにちの社会で、理性ある平和を愛し、人間の尊重と発展とを願うひとは、ヒューマニティの課題として自身の幸福への欲求をも自覚しずにいられないのだから。 そこにこそ、このひとつらなりの長篇に力を傾ける作者の歓喜と信頼がかくされている。「二つ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・蔵原惟人・青野季吉その他の人々によって、芸術の階級性ということが主張され、文学の社会性の課題がとりあげられていた。文学様式としては、第一次大戦後のドイツにおこった表現派、ダダイズムが流行的であった。 無産派文学の運動――すべての国で人民・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・この一巻に集められている二十数篇の評論、批評は、理論的に完成されていない部分や、展開の不十分な面をふくんでいるにもしろ、日本の人民階級の文学、人間解放のため文学がもっている基本課題をとりあげ、それを正当に推進させようとする努力において、ちっ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・文学は、当時の軍人、官吏、実業家の中心問題をその中心課題とすべきだという「大人の文学論」。客観的には、批判の精神を否定して、「知らしむべからず、よらしむべし」の全体主義文化政策に知識人が屈従するための合理化となった「文化平衡論」。「文学の非・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・それらのことから派生して、日本の作家はこれまであまり個々の才能を過大に評価しすぎたし、文学創造の過程にある心的な独自性、ほかの精神活動にないメンタルな特性の主張を、おおざっぱに文学の純粋性だの、文学性だのという概念でかためてしまってきた。そ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・この時代の作者の主観は、少くとも或る人間的なものの歴史的主張の欲望に立って、その欲望の正当性の抽象化した過大評価から作品のリアリティーを損ったのであった。今日において、作者は、多く主観をひっこめて、現実のあるままの姿を描こうとしているようで・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ この現実を、まじめに、しっかりと身にしみてのみこんだとき、私たちは、はっきりとさっきふれたデカダンなまたエロティックな文学からはじまって、『近代文学』の多くの人々の陥っている個的なものの過大評価の誤りを理解すると思います。さっき中野さ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ゾラのバルザック論その他に対し、芸術創作の過程における意識下的なものの力を過大視する評価のしかたに賛成を表さぬシルレルの態度は十分うなずけるが、その点を押し出そうとして、無条件に、バルザックが現実観察に際しては「分析的な、研究的な態度をもっ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・だが、私は自分の指標とした感覚なるものについて今一度感覚入門的な独断論を課題としてここで埋草に代えておく。感覚と新感覚 これまで多くの人々は文学上に現れた感覚なるものについて様々な解釈を下して来た。しかしそれは間違いではない・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫