・・・能代の膳には、徳利が袴をはいて、児戯みたいな香味の皿と、木皿に散蓮華が添えて置いてあッて、猪口の黄金水には、桜花の弁が二枚散ッた画と、端に吉里と仮名で書いたのが、浮いているかのように見える。 膳と斜めに、ぼんやり箪笥にもたれている吉里に・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ゆえに、最初エビシを学ぶときより、我が、いろはを習い、次第に仮名本を読み、ようやく漢文の書にも慣れ、字の数を多く知ること肝要なり。一、幼年の者へは漢学を先にして、後に洋学に入らしむるの説もあれども、漢字を知るはさまで難事にあらず、よく順・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・甚だしきは骨肉相争い、親戚陰に謀り、家名の相続、財産の分配等、争論百出、所謂御家騒動の大波瀾を生じて人に笑わるゝの事例さえなきに非ず。而して其不和争擾の衝に当る者は其時の未亡人即ち今日の内君にして、禍源は一男子の悪徳に由来すること明々白々な・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・わらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・と仮名で書いてある。その次のは「さけ」とあるらしいが縄暖簾の陰になって居て分らぬ。その次のには「なべ」と書いてあって、最も左の端の障子には蛤の画が二つ書いてある。「蛤」「なべ」という順序であるべきのが「なべ」「蛤」と逆になって居るので不思議・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・楷書いや。仮名は猶更。〔『ホトトギス』第二巻第十二号 明治32・9・10〕 正岡子規 「墓」
・・・じき、当時のナップに加盟していた日本プロレタリア作家同盟に参加した。そして精力的にソヴェトの社会生活の見学記、文化・文学活動の報告をかいた。一九三〇年の暮から一九三二年いっぱいに書かれたソヴェト紹介の文章は、『女人芸術』『戦旗』『ナップ』を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・ 日本民族文化の優位性を誇張し、妄想する超国家主義の考えかたから、真の民族生活の存在のありかたをはっきり区別しようとして、横光利一をはじめ、亀井勝一郎、保田与重郎、中河与一等の「日本的なもの」へのたたかいを行っている。 一九三三年ナ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・現代の読者にとってそれは不必要な重荷であるから、この選集に収録するにあたって、漢字をだいぶ仮名になおした。文章そのものはもとのままである。 一九四八年九月〔一九四八年十二月〕・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・一太は、小学校へ一年行ったぎりで仮名も碌に知らなかった。雑誌などなかったから、一太は寝転んだまま、小声で唐紙を読んだ。さっきも云った隣との区切りの唐紙が、普通の襖紙で貼ってなく、新聞の附録の古くさい美人画や新聞や、そこらに落こちていた雑誌の・・・ 宮本百合子 「一太と母」
出典:青空文庫