・・・昔キリストは姦淫を犯せる少女を石にて搏たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき者まず彼女を石にて搏つべしと言ったことがある。汝らのうち、心尤めされぬ者まずハムレットを石にて搏つべしと言ったらばはたして誰が石を取って手を挙げうるであろう。・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ぎ巡査を避けんとするは、聞くに堪えざる伯父の言を渠の耳に入れじとなるを、伯父は少しも頓着せで、平気に、むしろ聞こえよがしに、「あれもさ、巡査だから、おれが承知しなかったと思われると、何か身分のいい官員か、金満でも択んでいて、月給八円にお・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・知らないものは芸者でもなし、娘さんでもなし、官員さんの奥様らしくもなしと眼をって美貌と美装に看惚れたもんだ。その時分はマダ今ほど夫婦連れ立って歩く習慣が流行らなかったが、沼南はこの艶色滴たる夫人を出来るだけ極彩色させて、近所の寄席へ連れてっ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・とか「姦淫するなかれ」とか発言することができずに、「汝の意欲の準則が普遍的法則たり得るように行為せよ」とか、「汝の現在の態度について、汝自身に忠実であり得るように態度をとれ」とかいい得るのみである。すなわち人間のあらゆる積極的な意欲はことご・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ これはかつてニュートンが問うまで常人のものではなかった。姦淫したる女を石にて打つにたうる無垢の人ありや? イエスがこの問いを提出するまで誰も自分の良心に対してかく問い得なかった。財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルク・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚ヲ衒ヒ客ヲ呼ブ。而シテ樹下ニ露牀ヲ設ケ花間ニ氈席ヲ展ベ・・・ 永井荷風 「上野」
戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。殺人姦淫等の事件を、拙劣下賤な文字で主として記載する小新聞の流行、またジャズ舞踊の劇場で婦女の裸体を展覧させる事なども、わたくしの予想し・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・ 平田は私立学校の教員か、専門校の学生か、また小官員とも見れば見らるる風俗で、黒七子の三つ紋の羽織に、藍縞の節糸織と白ッぽい上田縞の二枚小袖、帯は白縮緬をぐいと緊り加減に巻いている。歳は二十六七にもなろうか。髪はさまで櫛の歯も見えぬが、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・学の離縁法は右に記したる七去にして、民法親族編第八百十二条に、夫婦の一方は左の場合に限り離婚の訴を提起することを得と記して、一 配偶者カ重婚ヲ為シタルトキ二 妻カ姦通ヲ為シタルトキ三 夫カ姦淫罪ニ因リテ刑ニ処セラレタルトキ四・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然ばすなわち、いやしくも改進者流をもって自からおる者は、たとい官員にても平人にても、この政府の精神とともに方向をともにし、その改むるところを改め、その進むところに進み、次第に自家の境界を開きて前途に敵なく、ついには、かの守旧家の強きものをも・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫