・・・欧化気分がマダ残っていたとはいえ、沼南がこの極彩色の夫人と衆人環視の中でさえも綢繆纏綿するのを苦笑して窃かに沼南の名誉のため危むものもあった。果然、沼南が外遊の途に上ってマダ半年と経たない中に余り面白くない噂がポツポツ聞えて来た。アアいう人・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・連城且擁す三州の地 一旅俄に開く十匹の基ひ 霊鴿書を伝ふ約あるが如し 神竜海を攪す時無かる可けん 笑ふ他の豎子貪慾を逞ふするを閉糴終に良将の資となる以上二十四首は『蓉塘集』中の絶唱である。漢詩愛誦家の中にはママ諳んずるものもある・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・尤も日本の政治家に漢詩以外の文学の造詣あるものは殆んどなかったが、その頃政治家が頻りと小説を作る流行があって、学堂もまた『新日本』という小説染みたものを著わした。余り評判にもならなかったが、那翁三世が幕府の遣使栗本に兵力を貸そうと提議した顛・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ たゞ漢詩は、和本の木版摺で読まないと、どういうものか、あの神韻漂渺たる感が浮んでまいりません。 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・ と言い、そして家へ帰って、お君によくいいきかせ、なお監視してくれと頼む安二郎を、豹一は、ざまあ見ろと思った。けれども、そんな安二郎を見るにつけ、××楼の妓に嫉妬した自分の姿を想い知らされてみると、この男も人間らしくなったと、何か安二郎・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ところが自由寮には自治委員会という機関があって、委員には上級生がなっていたが、しかしこの委員は寮生間の互選ではなく、学校当局から指命されており、噂によれば寮生の思想傾向や行動を監視して、いかがわしい寮生を見つけると、学校当局へ報告するいわば・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 教えられた部屋は硝子張りで、校正室から監視の眼が届くようになっていた。 武田さんは鉛の置物のように、どすんと置かれていた。 ドアを押すと、背中で、「大丈夫だ。逃げやせんよ。書きゃいいんだろう」 しかし振り向いて、私だと・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 栗島は、憲兵上等兵の監視つきで、事務室へ閉めこまれ、二時間ほど、ボンヤリ椅子に腰かけていた。机の上には、街の女の写真が大きな眼を開けて笑っていた。上等兵は、その写真を手に取って、彼の顔を見ながら、にや/\笑った。女郎の写真を彼が大事が・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・それをよく監視せにゃいかんぞ!」「はい。」 松木は、若し交代さして貰えるかと、ひそかにそんなことをあてにして、暫らく中隊長の傍を並んで歩いていた。 彼は蒼くなって居た。身体中の筋肉が、ぶちのめされるように疲れている。頭がぼんやり・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫