・・・もっとも人によって、感性のタイプにちがいはあるだろうけれど。私にすればああいうところをもうすこし悠々とみせて欲しかった。 この切り抜きを習う場面と、鋏を使う面白さを覚えたばかりの子供が家へかえると何の切りぬき絵も持っていないところから、・・・ 宮本百合子 「「保姆」の印象」
・・・女が男に与えるさまざまの価値ある影響をも認めたが、彼は主としてそれを感性的な面に於て見た。知性の上でチェホフは女の「可愛い愚かさ」というものを一つのあきらめとして、何れかといえば固定的に認めていた。ツルゲーネフが西欧主義者として、いささか皮・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・国技館でも灯が入った刹那にはやはり罪のない歓声が鉄傘をゆるがしてあがる。人間の心持の天真なところが面白かった。 四辺が煌々と明るくなるとますます目の下の空っぽの議席が空虚の感じをそそる。遠くの円形棧敷の貴賓席に、ぽつりと一人いる人の黒服・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・梶は、国際列車にもまだ沢山の乗換場所がいる、というような言葉を機械的に暗誦し易いフレーズにまとめて云っているのであるが、この見解がもし作者自身にとって具体的な内容で把握されているのであったら、関西財界の大立物であるという友人に向って「日本の・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・八分どおりは満員だが、窓ガラスの中は比較的閑静で車室に人の立つあきはある。これはすいている と思って見ていると、やはりステップに立ってつかまっている人々がかなりある。しかも最後の車台が通りすぎようとしたとき 一人のカーキ色服の男が、最後尾の・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・五六人ずつで、水の上を動いて低い橋かげをくぐる時なんか歓声をあげている。 ハイド・パアクの池は広く、遠い河のようだった。みぎわを葦がそよいだ。水禽が人々の慰みのためキラキラ水玉をころがして羽ばたきをしたりくちばしで泥から餌をあさったりし・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・出征軍人の見送り、出迎え、傷病兵慰問、官製婦人団体が組織する細々とした労働奉仕――例えば米の配給所の仕事を手伝うために、孔の明いた米袋を継ぐために集るとか、婦人会が地区別に工場へ手伝いに出るとか、陸軍病院へ洗い物、縫物などのために動員される・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 日本じゅうの農村に、様々の形で、自主的な農民の組織が出来て、粒々辛苦の収穫物を、怪しげな官制農業会の手を経ずに、直接消費者に渡そうとしているのは当然である。 工場の労働者が、今日企業家の行っているサボタージュに反して、生産を管理し・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・これだけの事を完成するのは、極て容易だと思うと、もうその平明な、小ざっぱりした記載を目の前に見るような気がする。それが済んだら、安心して歴史に取り掛られるだろう。しかしそれを敢てする事、その目に見えている物を手に取る事を、どうしても周囲の事・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・たぶん江戸で白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。 それは名を喜助と言って、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。もとより牢屋・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫