・・・その語尾の感嘆詞みたいなものだけは、よせ。皮膚にべとつくようでかなわんのだ」私もそれは同じ思いであった。 佐竹はハンケチをていねいに畳んで胸のポケットにしまいこみながら、よそごとのようにして呟いた。「朝顔みたいなつらをしやがって、と来る・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・十七、老後の財宝所領に心掛けるどころか、目前の日々の暮しに肝胆を砕いている有様で苦笑の他は無いが、けれども、老後あるいは私の死後、家族の困らぬ程度の財産は、あったほうがよいとひそかに思っている。けれども、財産を遺すなどは私にとって奇蹟に・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・さすがは、と言って膝を打って感嘆する人も昔はあったが、それはあまり大袈裟すぎるので、いまは、はやらない。溜息だけでよいのである。それから、香合をほめる事などもあって、いよいよ懐石料理と酒が出るのであるが、黄村先生は多分この辺は省略して、すぐ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が却って分りにくいというおかしな結論になる訳であるが、これは「分る」という言葉の意味の使い分けである事は勿論である。 アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・この老人の織ったふとん地が今でもまだ姉の家に残っているが、その色がちっともあせていないと言って甥のZが感嘆して話していた。 いつであったか、銀座資生堂楼上ではじめて山崎斌氏の草木染めの織物を見たときになぜか涙の出そうなほどなつかしい気が・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・そうしてかなりつまらない西洋の新しいものをひどく感嘆し崇拝して、それと同じあるいはずっとすぐれたものが、ずっと古くから日本にあってもそれは問題にしないような例は往々ある。私が一般に西洋映画に対して常に日本映画を低く評価するような傾向を自覚す・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・このような科学者と芸術家とが相会うて肝胆相照らすべき機会があったら、二人はおそらく会心の握手をかわすに躊躇しないであろう。二人の目ざすところは同一な真の半面である。 世間には科学者に一種の美的享楽がある事を知らぬ人が多いようである。・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・帰りの電車に揺られながらも、この一団のきたない粘土の死塊が陶工の手にかかるとまるで生き物のように生長し発育して行く不思議な光景を幾度となく頭の中で繰り返し繰り返し思い起こしては感嘆するのであった。 人間その他多くの動物の胚子は始めは球形・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・今徳富君の業を誦むに及んで感歎措くことあたわず。破格の一言をなさざるを得ず。すなわちこれを書し、もってこれを還す。 明治二十年一月中旬高知 中江篤介 撰 中江兆民 「将来の日本」
・・・私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰ろうとした時、自分は今日本を去るに臨んで、ただ簡単に自分の朋友、ことに自分の指導を受けた学生に、「さようならごきげんよう」という一句を残して行きたいから、それを朝日新聞に書いてくれないかと頼まれた。先生は・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
出典:青空文庫