・・・と鷹見は鸚鵡のかごと私の顔を見比べて、しかも笑いながら、聞きますから、「どうしたって、どうした」「樋口の部屋におッ母さんがいたろう」「いたよ」と、私は何げなく答えましたが、様子の変であったことは別に言いませんでした。しかし政法の二人・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・アメリカの禁酒法案が通過して、あのように長く行なわれたのも、婦人の道徳性の内からの支配力がどんなに強いかの証拠であって、男子にとっては実はこれは容易でない克己がいるので、苦い顔をしながらも、どうも婦人のいうことをきかずにはおれぬのである。そ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・喜劇を書いても、諷刺文学を書いても、それで、人をおかしがらせたり、面白がらせたりする意図で書くのでは、下らない。悲劇になる、痛切な、身を以て苦るしんだ、そのことを喜劇として表現し、諷刺文学として表現して、始めて、価値がある。殊に、モリエール・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠数を繰りながら名号唱えたる、特に声さえ沸ゆるかと聞えたり。 上野に着きて少時待つほどに二時となりて汽車は走り出でぬ。熱し熱しと人もいい我も喞つ。鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ ところが、二日目かに、モサで入っていた目付のこわい男が、ニヤ/\してながら自分の坐っている側へ寄って来てみれと云った。俺は好奇心にかられて、そこへズッて行くと、「あすこを見ろ。」 と云って、窓から上を見上げた。 俺はそれで・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ あの「ガラ/\」の山崎のお母さんでさえ、引張られて行く自分の息子よりも、こんな日の朝まだ夜も明けないうちに、職務とは云え、やって来て、家宅捜索をするのに、すぐ指先がかじかんで、一寸やっては顎の下に入れて暖めているのを見るに見兼ねて、「・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・なきを同伴の男が助け上げ今日観た芝居咄を座興とするに俊雄も少々の応答えが出来夜深くならぬ間と心むずつけども同伴の男が容易に立つ気色なければ大吉が三十年来これを商標と磨いたる額の瓶のごとく輝るを気にしながら栄えぬものは浮世の義理と辛防したるが・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 婦人は微笑みながら、「まあ、この間から毎日毎日お待ち申していたんですよ」という。「こんな不自由な島ですから、ああはおっしゃってもとうとお出でくださらないのかもしれないと申しまして、しまいにはみんなで気を落していましたのでござい・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・二階の西洋間で、長兄は、両手をうしろに組んで天井を見つめながら、ゆっくり歩きまわり、「いいかね、いいかね、はじめるぞ。」「はい。」「おれは、ことし三十になる。孔子は、三十にして立つ、と言ったが、おれは、立つどころでは無い。倒れそ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・それで定連に可哀がられている。こう云う社会では「話を受ける」人物もいなくてはならないのである。 こんな風で何年か立った。 そのうちある時、いつも話の受け手にばかりなっていた、このチルナウエルが忽ち話題になった。多分当人も生涯この事件・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫