・・・ 所々には、水増しの時できた小さな壺穴の痕や、またそれがいくつも続いた浅い溝、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆きれだのが、一列にならんでいて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。 日が強く照るときは岩は乾いてまっ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱が白く波立っていました。 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありません・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・さっきの馬はみなその前につながれて、その他にだって十五六疋ならんでいた。みんなオートを食べていた。 おとなや女や子供らが、その草はらにたくさん集って看板を見上げていた。 看板のうしろからは、さっきの音が盛んに起った。 けれどもあ・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ 厚くしかれた河原の青葦は、むんむんと水気を蒸発させ、葦が乾いて段々枯れてゆくきつい香りを放散させ、わたしは目がくらみそうだった。それでも八月の二十日すぎて東京へかえるとき「古き小画」は出来あがった。「古き小画」は宮原晃一郎氏を通じ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・ ただ、一幕目で、お絹が舞台で倒れて担がれて来た時、無目的に駈け集った者の中から、せめてお君位は主人の衣裳に手をかけてもよかったろう。 今まで後ばかり向き続けていたお君の存在が其処で或る点まではっきりするばかりでなく、舞台裏から迄見・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・なので、花房は泊り掛けに父の家へ来て、診察室の西南に新しく建て増した亜鉛葺の調剤室と、その向うに古い棗の木の下に建ててある同じ亜鉛葺の車小屋との間の一坪ばかりの土地に、その年沢山実のなった錦茘支の蔓の枯れているのをむしっていた。 その時・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ、荒された茫々たる沙漠のような色の中で、僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕を築いて・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・南へ行きやがれ南へ。」「もうお前、へたばるが。」「立てったら、立ちさらせ。」 安次は蹲んだまま怒った片肩をなお張り上げて、戸口までずるずる引き摺られた。「そんなことせんと、ここで休ましといてやらえな。」とお留は云った。「・・・ 横光利一 「南北」
・・・世間の人は毎日毎日彼女を夢に見てあくがれているように見えた。 ヘルマン・バアルは露都で得た芸術の酔いごこちをフランクフルト新聞に披瀝して、神のごときデュウゼをドイツに迎えようと叫んだ。これが導火線となって翌九二年デュウゼは初めてウィ・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・ たとえば私がカサカサした枯れ芝生の上に仰臥して光明遍照の蒼空を見上げる。その蒼い、極度に新鮮な光と色との内に無限と永遠が現われている。そうしてあたかもその永遠の内から湧きいでたように、あたかも光がそれを生んだように、私の頭の上には咲き・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫