・・・ そういう憤ろしい思いで雨の中をのぼり下った琴平の大鳥居の下に、こういう小道や公会堂があって、暗いやるせない信心とはまるでちがう新しい気運が、そこで開かれている会合で活溌に表現されている現在が愉快であった。こういう著るしい歴史の対照のも・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・ 一体、日本の現代文学の分野で、これだけあまたの賞というものはいつ頃、どのような社会の事情、文学の機運によって生れて来たものであろうか。文学に関する賞についてだけ考えて見ると、これらの賞が、明治から大正年代にかけてはまだ殆どなかったとい・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・ この混乱と没規準とが頂点に達した一九三四年後半、上述のような混迷した芸術至上主義、人間的文学論に飽き足りない一団の批評家、作家によって、一つの文学的気運が醸し出された。舟橋聖一、豊田三郎、小松清等の諸氏によって提唱されはじめた「行動主・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 明治文学の再評価の機運があることや、不安の呼び声の裡に方向を失っている若手のスランプが刺戟となったりして、自然主義以来の老作家たちが、それぞれ手練の作品をひっさげ、数年の沈黙を破って再び出場して来たことである。島崎藤村は明治文学の記念・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・が一つの動機をなしていたのであろうが、それらの作品が好評を博したことは、当時の官民協力の気風と結びつき銃後の農村の重要性を文学も反映させなければならないという立前と結合して、官製の農民文学懇話会結成の気運を齎した。その懇話会賞も制定され、そ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ ヨーロッパ大戦後の、万人の福利を希うデモクラシーの思想につれて、民衆の芸術を求める機運が起って『種蒔く人』が日本文学の歴史の上に一つの黎明を告げながら発刊されたのは大正十一年であった。ロマンティックな傾向に立って文学的歩み出しをしてい・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ この気運の具体化された一例は、昨年末から今年の初めにかけて『文芸』の発刊その他無数の文芸同人雑誌が刊行されるようになったことにも現れていると思う。 さて、文芸復興の声はこのようにしてブルジョア文学の全野に鳴りわたったが、矢つぎ早に・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・そのものが地上にふかく舞い下りて、地の塩とならないにしても、その刺戟から更に新鮮な機運がわき出て、一九三三年ごろエリカ・マンがナチス政権のもとで組織していた「ペッパーミル」に似た演劇団が生れるかもしれない、そういうところへまで思いをはせれば・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
・・・ ところで、一般に今日そういう気運が醸し出されているとして、そう云いそれを行う作家たちは、いかなロマンチストでも簡単に自己蝉脱は出来ないのであるから、或る意味ではやはり元の作家A・B・C氏であることは避け難い現実としなければならない。そ・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・既にその機運というか、予感は、きのうきょう以前にすべての文学を愛す者の感覚に迫って来ていたのである。 日常生活の緊張から云っても、複雑さから云っても、刺戟のつよさから云っても、人々は文学にこれまでより肺活量の多いものを、生活力の旺なもの・・・ 宮本百合子 「文学の流れ」
出典:青空文庫