・・・このごろはどちらも忙しくなって、いっしょに釣りをする機会もなくなってしまったが、久里浜にも二、三回、行ったことがある。東京湾の沖に出てチヌ釣りしたときよりも、やはり防波堤の中の浅いところでイイダコ釣りしたのが面白かった。このときは白ネギを使・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ 善吉は一層気が忙しくなッて、寝たくはあり、妙な心持はする、機会を失なッて、まじまじと吉里の寝姿を眺めていた。 朝の寒さはひとしおである。西向きの吉里が室の寒さは耐えられぬほどである。吉里は二ツ三ツ続けて嚏をした。「風を引くよ」・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・不義理不人情、恩を知らざる人非人なれども、世間に之を咎むるものなきこそ奇怪なれ。左れば広き世の中には随分悪婦人も少なからず、其挙動を見聞して厭う可き者あれども、男性女性相互に比較したらんには、人非人は必ず男子の方に多数なる可し。此辺より見れ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一、官に学校を立つれば、金穀に差支えなくして、書籍器械の買入はもちろん、教師へも十分に給料をあたうべきがゆえに、教師も安んじて業につき、貧書生も学費を省き、書籍に不自由なし。その得、一なり。一、官には黜陟・与奪の権あるゆえ、学校の法・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ これ等の事情を以て、下士の輩は満腹、常に不平なれども、かつてこの不平を洩すべき機会を得ず。その仲間の中にも往々才力に富み品行賤しからざる者なきに非ざれども、かかる人物は、必ず会計書記等の俗役に採用せらるるが故に、一身の利害に忙わしくし・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕す可きなれども、苟も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益なり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦喃々の間に決したることならんなれど・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・十九世紀で暴威を逞くした思索の奴隷になっていたんで、それを弥々脱却する機会に近づいているらしく見える。新理想とか何とか云い出すな、まだレフレクションに捉われてる証拠さ。併しさすがに以前の理想では満足出来ん所から、新理想主義になって来たんだ。・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・その間には人指し指を器械的に脣の辺まで挙げてまた卸す。しかし目は始終紙を見詰めている。 この男がどんな人物だと云うことは、一目見れば知れる。態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、煎じ詰めたようで、やや疲労の・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・それには苟くも想像力にうぶな、原始的な性能を賦し、新しい活動の強みを与えるような偶然の機会があったら、それを善用しなくてはならないと云うのである。 しかるにこのイソダンの消印のある手紙は、幸にもその暗示的作用を有する機会の一つであった。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・人というものは縛せられてもおり、またある機会にはその縛を解かれもするものじゃ。夢の中に泣いて苦労に疲れて胸にはあくがれの重荷を負うて暖かい欲望を抑えながらも、熟すればわしの手に落ちるのが人生じゃ。主人。その熟している己ではないから、どう・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫