・・・言い換えれば、このためにこそ文化機関の必要があると言えるのです。 卑近の例を取って言えば、民衆を教育せんがために、多くの学校は建てられたのである。教育ということが、何よりも第一の目的たることは疑わない。しかるに、教化というものが第二であ・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・また暑中休暇の期間だけ、閑静な処にて自然に親しませることは、虚弱な児童等にとって必要なことである。林間学校、キャンプ生活、いずれも理想的なるに相違ないが、それには、費用のかゝることであり、無産者の子供は、加わることができない。要は、適当なる・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・「そうも思ったんだが、実はその為替期間が切れて無効になってるんだよ」「無効になるまで、放って置いたのか」「忙しいから、つい……」 そういいわけをしていたが、だんだん聴いてみて、私は驚いた。 二 彼・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・ジュリアン・バンダがフランス本国から近著した雑誌で、ヴァレリイ、ジイド等の大家を完膚なきまでに否定している一方、ジャン・ポール・サルトルがエグジスタンシアリスムを提唱し、最近巴里で機関誌「現代」を発行し、巻頭に実存主義文学論を発表している。・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ところが自由寮には自治委員会という機関があって、委員には上級生がなっていたが、しかしこの委員は寮生間の互選ではなく、学校当局から指命されており、噂によれば寮生の思想傾向や行動を監視して、いかがわしい寮生を見つけると、学校当局へ報告するいわば・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ しかし、娘さんの両親は、結婚式はこんど晴れて帰還されてからにしたい。それまでは一先ず婚約という形式にしたいと申出た。なんといってもまだ若い、急ぐに及ばないという意見であった。いくらかの不安もあったろうか。 ところが、すっかりその娘・・・ 織田作之助 「十八歳の花嫁」
・・・奥床しい態度であった。帰還後一、二作発表したが、武田さんの野心はまだうかがえなかった。象徴の門の入口まで行って、まだ途まどいしていた。終戦になった。私は武田さんは何を書くだろうかと、眼を皿にしていた。そして眼に触れたのが「新大阪新聞」の「ひ・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・しかし腹が立つといえば、いわゆる婚約期間中にも随分腹の立つことが多かった。ほんとうにしょっちゅう腹を立てて、自分でもあきれるくらい、自分がみじめに見えたくらい、また、あの人が気の毒になったくらい、けれど、あの人もいけなかった。 婚約して・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ 三人の帰還軍人が瀬戸内海沿岸のある小さな町のはずれに一軒の家を借りて共同生活をしている。その家にもう一人小隊長と呼ばれている家族がいる。当年七歳の少年である。小隊長というのは彼等三人の中隊長であった人の遺児であるからそう名づけたのであ・・・ 織田作之助 「電報」
・・・千円でも二千円でも、あんたの要るだけの金は無利子の期間なしで貸すから、何か商売する気はないかと、事情を訊くなり、早速言ってくれた。地獄で仏とはこのことや、蝶子は泪が出て改めて、金八が身につけるものを片ッ端から褒めた。「何商売がよろしおまっし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫