・・・この人の巧さはどぎつくない。この人の帰還がたのしみである。この人が帰れば、上京して会いたいと思う。その作家魂を私淑し、尊敬しながら、なんだか会うのが怖い作家は、室生氏である。会う機会を得た作家は、会うた順に言うと、藤沢、武田、久米、片岡、滝・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・そしてその話をきいているとそれらの人達の病気にかかって死んでいったまでの期間は非常に短かった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通り筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据えた毛糸の織機で・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・もっと男女選択のチャンスの広くなるような、美しい賢明な男女交際の機関をこしらえてやることは社会的義務であると思う。 しかし如何に機会乏しくとも青年学生はその恋愛の相手をレディに求めよ。水稼業の女性はいかに美しく、磨きあげられていても、尋・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・滅後の弘経を遺嘱し、同じく十八日朝日蓮自ら法華経を読誦し、長老日昭臨滅度時の鐘を撞けば、帰依の大衆これに和して、寿量品の所に至って、寂然として、この偉大なたましいは、彼が一生待ち望んでいた仏陀の霊山に帰還した。そこでは並びなき法華経の護持者・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・天智天皇と藤原鎌足のような君臣の一生的の結びは彼の漢の高祖や源頼朝などの君臣の例と比べて如何に美しく、乃木夫妻のようなのは夫婦の結びの亀鑑である。リープクネヒトとローザ・ルクセンブルグとのようなのは師弟と盟友の美しき例であろう。しかしながら・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 軍服が、どす黒い血に染った。 坂本はただ、「うう」と唸るばかりだった。 内地を出発して、ウラジオストックへ着き、上陸した。その時から、既に危険は皆の身に迫っていたのであった。 機関車は薪を焚いていた。 彼等は四百里ほど・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・しかし、機関銃を持って十人も、その中にかくれているか、或は、銃声をきゝつけて、附近から大部隊がやって来るとすると、こちらがみな殺しにされないとは云えない。一里の距離は、彼等に、本隊への依頼心を失わせてしまった。そして、軍曹から初年兵の後藤に・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 短い期間のうちに珠玉のような完成をとげた者にとっては、その最後の時に、自ら自力で終止符を打ってしまうそのことにも意義があるだろう。いや、それが春月のように今までの世界が空白になって、それからさきが彩られて──最も意義あることなのかもし・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ 明治年間、殊に、日清戦争から、日露戦争前後にかけての期間は、最も軍国主義的精神が、国内に横溢した時期だった。そして、これは明治時代の作家の、そのかなり大部分のイデオロギーにも反映せずにはいなかった。殊に、明治に於ける文学運動のなかでも・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
一 内地へ帰還する同年兵達を見送って、停車場から帰って来ると、二人は兵舎の寝台に横たわって、久しくものを言わずに溜息をついていた。これからなお一年間辛抱しなければ内地へ帰れないのだ。 二人は、過ぎて来・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
出典:青空文庫