・・・英文は元来自分には少しおかったるい方だから、余り大口を利く訳には行かぬが、兎に角原詩よりも訳の方が、趣味も詩想もよく分る、原文では十遍読んでも分らぬのが、訳の方では一度で種々の美所が分って来る、しかも其のイムプレッションを考えて見ると、如何・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・己は人工を弄んだために太陽をも死んだ目から見、物音をも死んだ耳から聴くようになったのだ。己は何日もはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅い楽小さい嘆に日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 曙覧の事蹟及び性行に関しては未だこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳挙げて和歌の師とす、推奨最つとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋の中に住んで世と容れ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・尤も一遍は途中からやめて下りたけれど、僕たちは五遍大循環をやって来ると、もうそれぁ幅が利くんだからね、だからみんなでかけるんだよ、けれども仲々うまく行かないからねえ、ギルバート群島からのぼって発ったときはうまくいったけれどねえ、ボルネオから・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・私もしばらくは耐えて膝を両手で抱えてじっとしていましたけれどもあんまり蜂雀がいつまでもだまっているもんですからそれにそのだまりようと云ったらたとえ一ぺん死んだ人が二度とお墓から出て来ようたって口なんか聞くもんかと云うように見えましたのでとう・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・お前もものの命をとったことは、五百や千では利くまいに、早うざんげさっしゃれ。でないと山ねこさまにえらい責苦にあわされますぞい。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」 狼はおびえあがって、きょろきょろしながらたずねました。「そんならどう・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・書生にも同じ事を聞く。 十二時すぎに、待ち兼ねて居たものが来た。 葉書の走り書きで、今日の午後に来ると云ってよこしたんで急に書斎でも飾って見る気になる。 机の引出しから私だけの「つやぶきん」を出して本棚や机をふいて、食堂から花を・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・キリスト教の文化から背を向ければ、芸術的気質のない葉子には、擡頭しようとする日本の資本主義の社会、その社会のモラル、いわゆる腕が利く、利かぬの目安で人物を評価する俗的見解の道しか見えなかったことは推察される。 作者は一九一七年に再びこの・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・一太の母は、家にいるときや、普通一太に口を利くときとはまるで違った物云いをした。「このおばさまは、母さんが一ちゃん位のときからのお友達なのよ」 初めのうち、一太は驚いてその綺麗な装をして坐っている女の人を見たものだ。こんな女の人が、・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・と我知らず洩されている片岡氏の危懼は、とりも直さず文学の現実としてその危懼をまねく何かの必然が今日に見えているからこそであろうと思える。刻々の歴史に対する客観的な眼力を喪えば、文学上のディフォーメイションはディフォームした人生の局面の屈伏し・・・ 宮本百合子 「文学のディフォーメイションに就て」
出典:青空文庫