・・・ 木村はこう云う事を聞く度に、くすぐられるような心持がする。それでも例の晴々とした顔をして黙っている。「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・むずかしく申しますと、「無声に聴く」と云うことが一頭曳の馬車では出来なくなりますのですね。そこで肝心のだんまりも見事にお流れになりましたの。それと一しょに何もかもお流れになりましたのね。まあ、本当に迷ってしまっている女にだって、何もかも大き・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・「武士とや。打揃は」「道服に一腰ざし。むくつけい暴男で……戦争を経つろう疵を負うて……」「聞くも忌まわしい。この最中に何とて人に逢う暇が……」 一たびは言い放して見たが、思い直せば夫や聟の身の上も気にかかるのでふたたび言葉を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・彼は遠い物音を聞くように少し首を延ばして、癖ついた幽かな笑いを脣に浮かべながら水菜畑を眺めていた。数羽の鶏の群れが藁小屋を廻って、梨の木の下から一羽ずつ静に彼の方へ寄って来た。「好えチャボや。」と安次は呟いて鶏の群れを眺めていた。 ・・・ 横光利一 「南北」
・・・「余計な事を聞くようだが、わたしは小説を書くものだからね。」 この時相手は初めて顔を上げた。「小説家でおいでなさるのですか。デネマルクの詩人は多くこの土地へ見えますよ。」「小説なんと云うものを読むかね。」 エルリングは頭を振った・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そのお話しというのは、ほんとうに有そうな事ではないんでしたが、奥さまの柔和くッて、時として大層哀っぽいお声を聞くばかりでも、嬉しいのでした。一度なんぞは、ある気狂い女が夢中に成て自分の子の生血を取てお金にし、それから鬼に誘惑されて自分の心を・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・六 私は自分に聞く。――お前にどんな天分があるか。お前の自信が虫のよいうぬぼれでない証拠はどこにあるのだ。 そこで私は考える。――私には物に食い入るかなりに鋭い眼がある。一つの人格、一つの世相、一つの戦い、その秘められた・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫