・・・ 私は帰途、新宿の酒の店、二、三軒に立寄り、夜おそく帰宅した。大隅君は、もう寝ていた。「小坂さんとこへ行って来たか。」「行って来た。」「いい家庭だろう?」「いい家庭だ。」「ありがたく思え。」「思う。」「あんま・・・ 太宰治 「佳日」
・・・雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜であります。「チエホフ的に」などと少しでも意識したならば、かならず無慙に失敗します。言わでもの事であったかも知れません。君も既に一個の創作家であり、すべてを心得て居られる事と思いますが、君の作品の底に少・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 青扇もマダムも、まだ彼等の新居に帰ってはいなかった。帰途、買い物にでもまわったのであろうと思って、僕はその不用心にもあけ放されてあった玄関からのこのこ家へはいりこんでしまった。ここで待ち伏せていてやろうと考えたのである。ふだんならば僕・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・クの日、ふだん好きな酒も呑まず、青い顔をして居りましたが、すすきの穂を口にくわえて、同僚の面前にのっそり立ちふさがり薄目つかって相手の顔から、胸、胸から脚、脚から靴、なめまわすように見あげ、見おろす。帰途、夕日を浴びて、ながいながいひとりご・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・これを三度、四度ほど繰り返して、身心共に疲れてぐたりとなり、ああ酔った、と力無く呟いて帰途につくのである。国内に酒が決してそんなに極度に不足しているわけではないと思う。飲む人が此頃多くなったのではないかと私には考えられる。少し不足になったと・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜であります。〈チエホフ的に〉などと少しでも意識したならば、かならず無慙に失敗します。無闇に字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・ 私は丸山君を吉祥寺駅まで送って行って、帰途、公園の森の中に迷い込み、杉の大木に鼻を、イヤというほど強く衝突させてしまった。 翌朝、鏡を見ると、目をそむけたいくらいに鼻が赤く、大きくはれ上っていて、鬱々として楽しまず、朝の食卓につい・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ などと、とってつけたように、思わせぶりの感慨をもらし、以ておかみさんの心の動揺を企図したものだが、しかし、そのいつわりの縁談はそれ以上、具体化する事も無く、そのうちに君は、卒業と同時に仙台の部隊に入営して、岡野がいなくては、いかに大石・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・寝てからいろいろその改善を企図することもあるけれども、これはどうにも死ななきゃ直らないというような程度に迄なっているようです。 私も、もう三十九になりますが、世間にこれから暮してゆくということを考えると、呆然とするだけで、まだ何の自信も・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・おそらくこの監督自身の企図している道程から見ても、わずかに一歩を踏み出したに過ぎないではないかと思われる。聞くところによるとこの有名な映画監督は日本の文化の中の至るところに映画術的要素があるのに、日本の今の映画には不思議にその要素が欠けてい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫