・・・これらのシーンの推移のテンポは緩急自在で、実に目にも止まらぬような機微なものがある。試みにこの一巻を取ってこれを如実に表現すべき映画を作ることができたとしたら、かの「ベルリーン」のごときものは実に幼稚な子供の片言に過ぎないものになるであろう・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・天性の猟師が獲物をねらっている瞬間に経験する機微な享楽も、樵夫が大木を倒す時に味わう一種の本能満足も、これと類似の点がないとはいわれない。 しかし科学者と芸術家の生命とするところは創作である。他人の芸術の模倣は自分の芸術でないと同様に、・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・の差別も実はそれほどはっきりしたものではなくて、創作欄にあるものでも、ほとんど内容的に身辺の雑事を描写した随筆的なものもあり、また反対に、随筆と銘打ったものでも、その中には、ある人間の一群の内部生活の機微なる交錯が平凡な小説などより数等深刻・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・物を言わない獣類と人間との間に起こりうる情緒の反応の機微なのに再び驚かされた。そうしていつのまにかこの二匹の猫は私の目の前に立派に人格化されて、私の家族の一部としての存在を認められるようになってしまった。 二匹というのは雌の「三毛」と雄・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・のような諸篇にも人間の機微な心理の描写が出ている。「白浪のうつ脈取坊」には犯罪被疑者がその性情によって色々とその感情表示に差違のあることを述べ「拷問」の不合理を諷諌し、実験心理的な脈搏の検査を推賞しているなども、その精神においては科学的とい・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 人間の具体的な個々の記憶や経験はそのままに遺伝するものではないだろうが、それらを煎じつめた機微なある物が遺伝しているので、そのためにこのような心持ちを起こさせるのではあるまいか。漱石先生の「趣味の遺伝」はまさにこういう点に触れたものの・・・ 寺田寅彦 「自画像」
四五日前に、善く人にじゃれつく可愛い犬ころを一匹くれて行った田町の吉兵衛と云う爺さんが、今夜もその犬の懐き具合を見に来たらしい。疳癪の強そうな縁の爛れ気味な赤い目をぱちぱち屡瞬きながら、獣の皮のように硬張った手で時々目脂を拭いて、茶の・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 井戸の後は一帯に、祟りを恐れる神殿の周囲を見るよう、冬でも夏でも真黒に静に立って居る杉の茂りが、一層其の辺を気味わるくして居た。杉の茂りの後は忍返しをつけた黒板塀で、外なる一方は人通のない金剛寺坂上の往来、一方はその中取払いになって呉・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 機微の邃きを照らす鏡は、女の有てる凡てのうちにて、尤も明かなるものという。苦しきに堪えかねて、われとわが頭を抑えたるギニヴィアを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは払い落す蜘蛛の巣と消えて剰すは嬉し・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ことに承れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただい・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫