・・・椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居で、故人を偲ぶ旧観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。まず山王台東側の崖に繁っていた樹木の悉く焼き払われた後、崖も亦その麓をめぐる道路の取ひろげに削り去られ、セメントを以て固められたので、広小路のこなたから眺望する時、公園入口の・・・ 永井荷風 「上野」
・・・しかしこれら市中の溝渠は大かた大正十二年癸亥の震災前後、街衢の改造されるにつれて、あるいは埋められ、あるいは暗渠となって地中に隠され、旧観を存するものは殆どないようになった。 そのころ、わたくしはわが日誌にむかしあって後に埋められた市中・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・観音堂が一立斎広重の名所絵に見るような旧観に復する日は恐くもう来ないのかも知れない。 昭和十二年、わたくしが初めてオペラ館や常盤座の人たちと心易くなった時、既に震災前の公園や凌雲閣の事を知っている人は数えるほどしかいなかった。昭和の世の・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ただに実際に心配なきのみならず、学校の官立なりしものを私立に変ずるときは、学校の当局者は必ず私有の心地して、百事自然に質素勤倹の風を生じ、旧慣に比して大いに費用を減ずべきはむろん、あるいはこれを減ぜざれば、旧時同様の資金をもってさらに新たに・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・、外面の体裁虚飾に至るまでも、専ら西洋流の文明開化に倣わんとして怠ることなく、これを欣慕して二念なき精神にてありながら、独りその内行の問題に至りては、全く開明の主義を度外に放棄して、純然たる亜細亜洲の旧慣に従い、居然自得して眼中また西洋なき・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫