・・・ この質問には丹波先生も、いささか急所をつかれた感があったらしい。世故に長けた先生はそれにはわざと答えずに、運動帽を脱ぎながら、五分刈の頭の埃を勢よく払い落すと、急に自分たち一同を見渡して、「そりゃ毛利先生は、随分古い人だから、我々・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ そう言って、父は自分の質問の趣意を、はたから聞いているときわめてまわりくどく説明するのだったが、よく聞いていると、なるほどとうなずかれるほど急所にあたったことを言っていたりした。若い監督も彼の父の質問をもっとありきたりのことのように取・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ しかし、弾は、急所をはずれたので、おおかみは、雪の上に跳り上がって、逃げてしまいました。 おじいさんは、自分は智慧者だろうと、家へ帰ってから威張っていました。 一方、息子は、こんな晩方、おじいさんを独りで帰したのを後悔しました・・・ 小川未明 「おおかみをだましたおじいさん」
・・・鼠のような目を輝らせて杉の杜の陰からにらんだところを今少し詳しく言えば、 豊吉は善人である、また才もある、しかし根がない、いや根も随分あるが、どこかに影の薄いような気味があって、そのすることが物の急所にあたらない。また力いっぱいに打ち込・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・と腹から出た声を使って、グッと急所へ一本。「何だと親を捕えて泥棒呼わりは聞き捨てになりませんぞ」と来るところを取って押え、片頬に笑味を見せて、「これは異なこと! 親子の縁は切れてる筈でしょう。イヤお持帰りになりませんならそれで可う御・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・『僕は孟子が好きですからそれでお訊ねしたのでございます』と、急所を突いた。この老先生がかねて孟子を攻撃して四書の中でもこれだけは決してわが家に入れないと高言していることを僕は知っていたゆえ、意地わるくここへ論難の口火をつけたのである。・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・突かれた男は、急所を殴られて一ッぺんに参る犬のようにふらふらッとななめ横にぴりぴり手足を慄わしながら倒れてしまった。突きこんだ剣はすぐ、さっと引きぬかねば生きている肉体と血液が喰いついてぬけなくなることを彼はきいていた。が、それを思い出した・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・何故と申しますまでもありません、馬琴の前後の小説、――いわゆる当時の実社会をそのまま描写することを主とした、小説ともいえぬほど低微なものでありますが、それらの小説は描写が実社会の急所にあたってること、即ちウガチということを主として居るもので・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・尚、むかしから言い伝えられている男の急所をも一応は考えてみたけれども、これはやはり下品な気がして、傲邁な男の覘うところではないと思った。むこうずねもまた相当に痛いことを知ったが、これは足で蹴るのに都合のよいところであって、次郎兵衛は喧嘩に足・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・力学の教科書はこの急所に触れないように知らん顔をしてすましていた。それでも実用上の多くの問題には実際差支えがなかったのである。ところが近代になって電子などというものが発見され、あらゆる電磁気や光熱の現象はこの不思議な物の作用に帰納されるよう・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫