・・・その夜学というのが当時盛んであった政社の一つであったので、時々そういう社の示威運動のようなものが行なわれ、おおぜいで提灯をつけて夜の町を駆けまわり、また時々は南磧で繩奪い旗奪いの競技が行なわれた。ある時はある社の若者が申し合わせて一同頭をク・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ 仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろいろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・北氷洋に中央アジアに、また太平洋に成層圏に科学的触手を延ばして一方では世界人類の福利のために貢献すると同時に、他方ではまた他の科学国と対等の力をもって科学的な競技場上に相角逐しなければおそらく一国の存在を確保することは不可能になるであろうと・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・必ずしも直接な狭義の美ではない。ただそれが真であることによって、そこに間接な広義の美が現われるように思う。科学の目的もただ「真」である。そして科学者にとってはそれが同時に「美」であり得る。 漫画が実物に似ていないにかかわらず真の表現であ・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・「白熱せる神宮競技」。「白熱せる万国工業会議」。こういうトピックスで逆毛立った高速度ジャズトーキーの世の中に、彼は一八五〇年代の学者の行なった古色蒼然たる実験を、あらゆる新しきものより新しいつもりで繰り返しているのであろう。そうして過去・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・ 二十歳代の青年期に蜃気楼のような希望の幻影を追いながら脇目もふらずに芸能の修得に勉めて来た人々の群が、三十前後に実世界の闘技場の埒内へ追い込まれ、そこで銘々のとるべきコースや位置が割り当てられる。競技の進行するに従って自然に優勝者と劣敗・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・ただ上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能く上人の為人を表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか。人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあ・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ あるいはこの撰は、一個人の意見に非ずして、一省の協議になりしものなりといわんか。とりもなおさず日本政府の撰びたる倫理論なり。然らばすなわち、今の日本政府を日本国民一種族の集合体として、この集合体ははたして徳義の叢淵にして、ことに百徳の・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国独り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国根本の道徳なくして叶うべきや、耶蘇の教義果たして美にして立国に要用なりとなら・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・棒(長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手にて持つ処一尺四方ばかりの荒布にて坐蒲団のごとく拵えたる基三個本基および投者の位置に置くべき鉄板様の物一個ずつ、攫者の後方に張りて球を遮るべき網(高さ一間半、幅競技者十八人審判者一人、幹事一人等なり。・・・ 正岡子規 「ベースボール」
出典:青空文庫